〒630-8312 奈良市十輪院町27
TEL.0742-26-6635
おしらせ

十輪院は元興寺旧境内の南東隅に位置し、静かな奈良町の中にあります。
寺伝によりますと、当山は元正天皇(715‐724)の勅願寺で、元興寺の一子院といわれ、また、右大臣吉備真備の長男・ 朝野宿禰魚養(あさのすくね なかい)の開基とも伝えられています。
沿革の詳細は明らかではありませんが、鎌倉時代、無住法師の『沙石集』(1283)では本尊の石造地蔵菩薩を「霊験あらたなる地蔵」として取り上げられています。
室町時代の末期までは寺領三百石、境内は1万坪の広さがあったようですが、兵乱等により、多くの寺宝が失われました。
しかし、江戸時代の初期には徳川家の庇護を受け、寺領も五拾石を賜り、諸堂の修理がなされました。明治時代の廃仏毀釈でも大きな打撃を受けましたが、現在、当山の初期の様子を伝えるものとして、本尊の石仏龕、本堂、南門、十三重石塔、不動明王二童子立像、それに校倉造りの経蔵(国所有)などが残っています。
近年は、昭和28年本堂の解体修理から、平成8年防災施設の完成により、諸堂宇が整備され、境内は寺観を整えることができました。

本堂

山門をくぐると、正面に軒が低く、柔らかな勾配の屋根を持った本堂(国宝)が見えます。正面の蔀戸(しとみど)は当時の住宅を思わせるような繊細な印象を与え、貴族の邸宅の趣を感じさせる建物です。天井の高さは2.2メートルと、一般住宅よりも低いですが、圧迫感は感じられません。堂内には石仏龕のほかに、弘法大師・空海、理源大師・聖宝の坐像を祀っています。

十輪院とブルーノ・タウト

ドイツの著名な建築家ブルーノ・タウト(1880-1938)は、1933年より1936年まで日本に滞在し、その間多くの日本建築を見て回り、日本美の素晴らしさを世界に広めました。中でも桂離宮を称賛しました。十輪院については彼の著作『忘れられた日本』(中公文庫)の中で、「一般に外国人は、官庁発行の案内書やベデカーなどに賞賛せられているような事物に、東洋文化の源泉を求めようとする。しかし奈良に来たら、まず小規模ではあるが非常に古い簡素優美な十輪院を訪ねて静かにその美を観照し、また近傍の素朴な街路などを心ゆくまで味わうがよい。」と述べています。

護摩堂

山門を入ると左手に護摩堂があります。不動明王および二童子(重文)を祀っています。毎月8日・18日・28日の午後2時から、護摩祈祷が行われ、その日に限り開扉されます。また1月28日午後1時からは、『新春初ごま大祈とう』が行われます。

庭園

山門に入り、右手には庭園が広がっています。池の周りには、不動明王石像、観音菩薩石像、春日曼荼羅石、愛染曼荼羅石、十三重石塔など多くの石仏が点在しています。

十輪院と森鴎外

森鴎外(1862-1922)は軍医でありながら、小説家としても有名ですが、帝室博物館の総長時代、奈良に来ては古い寺々を巡っていました。短歌も好み、『奈良五十首』を詠んでいます。その中に、「なつかしき十輪院は青き鳥子等のたずぬる老人(おいびと)の庭」という歌があります。



境内隅には当山開基と言われる朝野宿禰魚養(あさのすくねなかい)の古墳も残っています。



●魚養塚内部