| 敬禮三寶 謹賀新年 人間の行動を4種に分類すると「行・住・坐・臥」になります。行くこと・とどまること・坐ること・臥せることでこれを「四威儀」といいます。 威儀を正すということは日常生活の上でとても大切なことです。行と住の絶えざる繰り返しで自由と反省があります。坐は思考を促します。臥は休息によって生命を維持し新陳代謝を促進します。 四威儀を正すことによってその人の品位風格が高められます。 本年もよろしくお願い申し上げます 平成14年 元旦 |

9月の法話
彼岸に想うこと
| お盆が過ぎて1ヶ月あまりでもう彼岸の時節になります。境内はまたもや墓参で賑わいました。大変結構なことには違いありません。 人間はいつかは土に帰ります。それ故、洋の東西を問わず、墓を必要とします。個人の墓であるか、家族のための墓であるか、その形態はさまざまです。 日本人は古来より死後の世界を想像し祖先の霊を慰めることが生活の中で大きなウェイトを占めていました。 仏教が正式に伝来された当初の目的は鎮護国家のためでありましたが、時代が下り、民衆に広く仏教が流布されるようになって、それは死後の世界観をより具体的なものに仕上げていきました。 仏教は鎮護国家、祖先崇拝も説いていますが、本来の目的は人間の精神的向上にあります。いかにして自分の人生を大切にし、充実した一生を送るか、いかにして他人をも幸せにできるか、あるいは、いかにして平和な世の中を築き上げることができるか、それらの課題の指針となるのが仏教のおしえの中心なのでしょう。 墓前であるいは仏壇の前でお経を唱える、葬儀を僧に司ってもらうことだけで仏教が事足りるということでは、枝葉末節、主客顛倒であります。 日本の今の仏教は「先祖教」と呼んだほうがいいでしょう。 |

8月の法話
お盆に想うこと
| 8月は旧盆の時期です。各地では様々なお盆の行事が繰り広げられます。祖先崇拝の一大イベントであるそれらの行事にはそれぞれに趣きがあり、その土地の風土、歴史、人間性がよく表現されています。 それだけに見ていても楽しいし、またその土地の人々はその行事を大切にし、いつまでも伝えていこうとします。 地域単位でなくても、家庭の中にあってもそれぞれの独自のお盆の祀り方があり、昔から言い伝えられて来たやり方で祖先を敬ってきました。 ところが近年、それぞれの家庭に昔から伝わるお盆の風習が消えつつあります。 これはどういうことでしょうか? 今までは親から子へ、子から孫へと伝えられていた祖先の祀り方がどこかで途切れてしまうのです。 原因は核家族生活にあります。その家に永年伝えられてきた風習が親子の住む所が別々であるために親から子に伝わらず、いつしか消えてしまいます。私はそのような現実のケースをいくつも見てきました。 親は子どもからは「祖先崇拝は親に任せておけばいい」と言われて嘆き、子どもは「親からは何も聞かなかった」と苦言を呈します。 昔からの習慣に固執し、忠実に守っていくことが正しいとは限りません。現代の生活様式に合うように祖先の祀り方も変わっていって当然です。 しかし、そのためには今まで伝えられてきた風習が持っていた意味合いを理解しておく必要があります。そうでないと今まで培われてきた先人の知恵が生かされないだけでなく、間違った習慣を生み出すことにもなりかねません。 最近、びっくりするような質問を受けることがよくあります。「塔婆ってなんですか?」「位牌ってどれですか?」「お盆っていつですか?」「お盆に何をしたらいいのですか?」 このような質問が親から仏壇を受け継いだ、そんなに若くない夫婦(複数)からありました。 別居生活のため、亡くなった親からは仏事に関して何も聞いていなかったのでしょう。由々しきことだと思います。 仏事だけではないでしょう。たとえば、料理、しつけなどにおいてもそれぞれの家庭の仕方、方法があり、それらは代々受け継がれてきたものです。 そこには経験則により非常に効率的に、合理的にそしてまた工夫が凝らされて、洗練されたものが残っているはずです。これらを途切れさせてしまうことは文化の消滅と言っても良いかも知れません。 私たちは先人の遺した生活の中の知恵、文化を知り、それらをいしずえに新しい知恵を、文化を産み出し、子孫に伝えていくことが大切だと思います。 |
| 暑中お見舞い申し上げます 当山の宝物の中で 昨年は軸装の尊勝曼荼羅(鎌倉時代) 今年は石造の興福寺曼荼羅石(同時代)がいづれも奈良市指定文化財に登録されました どちらも損傷が見られますので今年から保存のための措置を講じる予定です 本尊の石仏龕(国重文・同時代)の表面にも剥落や塩類による劣化が見られます こちらの方がおおごとで現在文化庁や県などでその原因と予防・修復方法を調査検討してもらっています 「形あるものはいつか滅びる」というのは仏教の教えるところですが できるだけ永く後世に伝えるというのも私たちの使命です 平成13年 盛夏 |

7月の法話
観 音 経
般若心経とともによく唱えられるお経に『観音経』があります。観音菩薩の功徳を説いたもので、観音霊場に行くとこのお経を唱えている参拝者をよく見かけます。 しかし、このお経は初期の大乗経典とされる『法華経』の第25章「観世音菩薩普門品」を独立させたもので、最初からこの名の経典があったわけではありません。 観音菩薩は多数のほとけ様の中でも最も古くから、また多くの人々に信仰されてきたうちのひとりです。日本だけでなくインド、中国でもさかんに崇拝されました。 インドでは観音菩薩は火難、水難、獣難などから身を守る力を持つとされ、中国では亡父母の追善など祖先崇拝時にも崇められるようになりました。 日本にはいつ伝来したかは定かではありませんが、飛鳥、白鳳時代にはかなりの数の観音菩薩が造立されています。国家安泰、現世利益の目的で信仰されてきました。とくに庶民の間では、現世利益の面が好まれ、生きている我々に恵みを与え、願い事を聞いてくださる慈悲深いほとけ様として、中世以降さかんに祀られるようになりました。 観音菩薩は三十三の姿に変化(へんげ)されることから、たくさんの観音霊場を参拝して多くのご利益を得ようとして、西国、坂東、秩父などの三十三ヶ所霊場巡拝が行なわれるようになりました。 『観音経』のなか、最後の偈文(五句ずつの韻文でほとけの徳を称えた文章)には観音菩薩の力を念じたら観音菩薩はどんな災難や困難な事でも救済し、闇路を照らし、慈悲の眼でわれわれを見守ってくださる、ということが簡潔、明瞭に述べられています。 私は法要や法事の時にいつもこの『観音経』偈文と『般若心経』を参列者と一緒に唱えます。『般若心経』に比べて『観音経』のほうが理解しやすいです。ちなみにどちらのお経も主人公は観音菩薩です。 参列者は一生懸命、私の後について慣れないお経を唱えます。終われば、お経を唱えたという充実感とこれからも時々唱えなければという信仰心が私には見て感じられます。が、しかし、今度唱えるのは何年か後の法事の時でしょう。 日本では経典を読む習慣が定着しませんでした。その点はキリスト教のバイブルやイスラム教のコーランと大きな違いがあります。 最初からそうであったのか、今でも漢文のまま唱えます。奈良時代と全く変わりません。ここにこの現代の世間から隔離された仏教経典読誦(どくじゅ)の習慣の致命的な欠点があります。日本語訳を聖典と見なさなかったことが大きな原因です。 みなさん、これに懲りずに機会あるごとにできるだけお経をお唱えください。お経は素晴らしい文学作品でもあるのですから。 |

| 6月の法話 般 若 心 経 小学生の時、毎朝本堂でお経を唱えてから学校に行くのが私の日課でした。父から義務付けられた習慣でしたが、別にいやだと感じた記憶は残っていません。その時唱えていたお経は『般若心経』でした。 中学に進み、遅刻しそうな時間に起きる日が多くなるにつれてその習慣はいつしか消えていきました。高校生の時などは一度もお経を唱えたことがなかったように思います。仏教系の大学に入って、再び「般若心経」を唱えることとなりました。 6年間のブランクがありましたが、自分でも驚くくらい、ほとんど覚えていました。子供の頃の記憶はすごいと思います。大学入学当初、『般若心経』を空で唱えられた学生はわずかしかいなかったように思います。 お経といえば『般若心経』というふうに、このお経は広く知られ、よく唱えられています。お経は「八万四千の法門」というくらい膨大な種類があります。それらの多くは長文で同じ事の繰り返しが多く、読むにも唱えるにも大変な時間と労力を要します。 なかでも唐の玄奘三蔵(西遊記で有名)が訳した『大般若経』は600巻から成る一大叢書です。除災招福、鎮護国家などに有益であるとされ、わが国では奈良時代の頃から現在まで盛んに用いられています。 またこの叢書は、般若という智慧によってあらゆる事象は「空」「不可得」と感じて、実体を持たないものと理解し、何物にも執着してはならないと説かれたいくつもの般若経典を集めたもので、『般若心経』もその中に含まれています。 それは般若経典の中で最も短く、簡潔かつ明瞭に「空」の思想が説かれているとして重用されてきました。 しかし、『般若心経』を読まれたことのある皆さん、読んでいてその内容が理解できますか? 最近は解説書のようなものがたくさん出版されていますが、分かったような分からないような内容のものがほとんどです。 この経典は「五蘊」「受想行識」「苦集滅道」「無所得」「顛倒」「究竟」「涅槃」「三世」など、たくさんの仏教用語が使われ、また音訳と意訳が入り交ざって書かれています。読んでいてさっぱり分からないのが当たり前でしょう。さらに最後には呪文のようなものまで付いています。逐語的に理解しようとしてもまず無理でしょう。 「空」のおしえを大局的に把握しなくてはなりません。 「5月の法話」に書きましたが、 『心に迷いがある時、悲しい時、寂しい時、辛い時、怒っている時、また嬉しい時、楽しい時、いつでもいいです。一生懸命唱えていると自然と精神集中ができてきます。そして、唱え終わった時、迷い、悲しみ、寂しさ、辛さ、怒りはなくなり、有頂天の気持ちもなくなります。気持ちが落ち着き、今まで気が付かなかった自分を発見します。』 これが「空」のおしえだと思います。 経典のおしえを頭で理解しようとしてはだめです。自分の身体で会得するものなのです。 ![]() 5月の法話 読経(どきょう)のすすめ 先日、友人に誘われて久しぶりにスナックへ飲みに行きました。普段あまりお酒を飲まない私には1年ぶりの機会でした。店に入って気が付いたのですが、以前と何か違う雰囲気でした。静かなのです。つまりカラオケがなくなっていました。聞こえるのは落ち着いた感じのBGMです。 今までなら競い合って次から次へとマイクを廻して歌っていた、あの「騒音」がありません。友人によると、近頃はそのような店は少なくなったということでした。しかし、カラオケ好き人間が減ったわけではありません。駅前や繁華街にはいくつものカラオケの店ができています。 結局、「住み分け」が出来てきたのでしょう。会話を楽しみながらお酒を飲み、歌はみんなの前で歌って視線を集めて聞いてもらうのが良いのでしょう。 熱中して歌えば歌のその世界に入り、自分を主人公に置き換え、非日常的な感覚をかもし出し、そして自己陶酔へと入っていきます。頭の中にあるいろんな事を排除してしまいます。これは読経とよく似たところがあります。 読経は読誦(どくじゅ)とも言い、経典を読むことです。お腹から声を出して経典を一心に読みます。これを「唱える」といいます。本来は経典の意味内容を理解し、実践するために読んだのでありますが、今では読経すること自体が一つの修行法とされています。 仏様の前で一生懸命読経し、雑念を払い、精神集中します。私たち僧侶は長いお経を唱え、また短い経文ならそれを何百回、何千回と繰り返します。そうすることによってほとけの世界に入って行こうとします。つまり、自分は「ほとけそのもの」であるという境地に入る手立て、手段として行ないます。 別に難しいことではありません。一度やってみませんか?どんなお経でもいいです。最初はルビのついた、短いお経がいいでしょう。意味は分からなくても、いや分からないほうがかえって良いかも知れません。とにかく、唱えてみることです。時、場所は問いませんが静かなところがベターです。 心に迷いがある時、悲しい時、寂しい時、辛い時、怒っている時、また嬉しい時、楽しい時、いつでもいいです。一生懸命唱えていると自然と精神集中ができてきます。そして、唱え終わった時、迷い、悲しみ、寂しさ、辛さ、怒りはなくなり、有頂天の気持ちもなくなります。気持ちが落ち着き、今まで気が付かなかった自分を発見します。それもほとけ様の境地に近いものかも知れません。 読経の目的は仏の徳を称え、願い事を叶えようとし、また死者の冥福を祈るためだけのものと思われますが、それだけではありません。自身の気持ちを切り替える方法としても大変有効な手段になります。 歌と一緒で腹式呼吸で声を出しますから、健康にもいいです。このように読経の効用は一石二鳥が三鳥、四鳥にもなって自分に帰ってきます。さあ、一度チャレンジしてみましょう。 やり方がよく分からなければ私や私のスッタッフが手ほどきしますから、気軽に問い合わせてください。 |

| 4月の法話 修行生活 先月の法話「コクゾウムシ」にいろんな反響を頂きましたので、今回はもう少し詳しく修行中の生活を皆さんに知っていただこうと思います。閉ざされた世界での1年間の生活は、精神状態を大きく左右するものでありました。 醍醐寺は京都市の南西に位置し醍醐山を含めて広大な境内を有しています。そのふもとの一番奥まった所、鬱蒼とした木立の中に「伝法学院」という修行道場があります。毎年、20名前後の僧侶志願者が集まって来ます。 私の入った年には全国各地から22名が入学しました。年齢は17歳から31歳まで、学歴、経歴は様々です。これから1年間協調性が保たれるかどうかお互いまず顔を見合わせて少しの不安がよぎります。 寮は廊下をはさんで左右に六畳間が5室づつ、1室2名が起居を共にします。窓には縦格子が入り、薄暗く、もし部屋に鍵でも掛かればまるで囚人の監獄そのものです。出入り口には監視役のような年季の入った賄いのおばさんが陣取っています。 1日が始まりました。当番はまだ暗い中、朝5時に鐘楼の鐘を撞きます。全員起床。あわただしく洗顔、着衣を済まし、前庭に整列。「れつ!」の合図と共に一列縦隊で一糸乱れぬ行進。5時30分、お堂に入り、正座して朝の勤行が始まります。約1時間の正座はかなりこたえます。 朝の勤行が終われば、当番はすぐに朝食の準備に取り掛かります。7時30分、衣に袈裟を着け、板間に正座し食事(じきじ)作法の経文を唱えて、ようやくたどり着いた朝食がお粥一杯、味噌汁一杯、香の物とお茶。お腹の中は水腹状態です。 あっという間に終わり、すぐに「別行」という掃除が始まります。廊下、便所、風呂、教室、主管室、玄関など全ての所を毎日磨き上げます。 一息入れたと思えば、9時から朝の講義です。小さな机に1時間30分の正座で、居眠りなどは緊張と講師の鋭い視線で想像する余裕もありません。勤行より辛いかも知れません。 11時、昼の勤行に入ります。朝と同じく一列縦隊で入堂。扉が閉められ、ほのかなローソクの明かりの中で慣れないお経に目を凝らしながら一心に読誦します。小1時間のお勤めが終わり、いよいよ中食(昼食)。 12時、朝の水腹はとっくに背中とお腹がくっ付いた状態です。朝と同じような食事作法を済まして頂くのですが、コクゾウムシの入ったご飯一杯、精進のおかず一品、香の物、お茶でお茶だけお代わりが出来ます。 午後1時から2時間の講義開始、3時から4時まで別行。諸堂、庭の掃除です。少しの自由時間のあと、5時30分から非食(夕食)が始まります。メニューは昼と同じです。もともと僧は1日2食しか食べません。午後12時以降の食べ物は禁止されていました。それで「非食」と言います。 夕方のお勤めは午後6時から約30分です。7時から9時30分の消灯までが唯一くつろげる時間です。風呂に入る者、手紙を書く者、経文をひろげる者、雑談する者、そこには一日の休みない日課を叱られながらも何とかやり遂げた安堵感が漂っています。 私は今でも覚えていますが、最初の日の夜、床に入って一日のことを思い出してみると朝のことが2〜3日前の出来事のように感じられました。とても長い一日でした。このような生活が1年間続きます。 途中、4ヶ月間は加行(けぎょう)といって勤行の変わりに特別の行を行ないます。一日3回約2時間づつお堂に篭り修法をします。この加行が僧侶になるために一番大切なものです。 しかし、夏休みもあります。一週間ですが自分の寺に帰ることを許されます。実習としてお盆の手伝いをしろ、というのです。 毎日の日課をこなすことも大変ですが、それ以上に気を使うのが人間関係です。閉ざされた世界の中で、年の違い、経歴の違いなどから様々な問題が生じます。これを克服するのも一つの修行かも知れません。 自分の体調維持にも気を使わないといけません。風邪をひけば寮監から「気が緩んでいるからだ」と厳しい叱責を受けます。下痢の時は大変です。勤行時、我慢が限界を超える時もあります。 1年間の異様ともいえる学院生活、入学時に誰かに、ここの生活は「囚人と同じだ」とか「真綿で首を絞めるんだ」と聞かされたことは案外当たっています。 入学時は22名だったのが、卒業時は18名でした。4名が脱落しました。1人は入学してすぐにいなくなりました。みんなが気が付かないままに。1人は身体が弱く、続けられませんでした。2回目のチャレンジだったのですが。1人は加行の前にいなくなりました。私と同室の人でした。彼は正座がまったく出来ませんでした。いつも脂汗を流して勤行していたのを覚えています。両手指の関節のところにいくつも豆を作っていました。最後の1人は最年長の人でしたが、ストレスが強く、加行中、言動がおかしくなり、目も据わってきて、続行不可能と判断させられ、下山しました。 いろんなことを経験した1年間は最初は苦しさ、辛さの連続でしたが、終わる頃にはそういった感じはなく、むしろ楽しんで毎日を過ごしているような生活でした。 今、その時のことを振り返って書いていますが、鮮やかに当時の記憶が蘇ってまいります。貴重な経験をしたと思っています。それは自分の自信に繋がっているような気がします。 |

| 3月の法話 コクゾウムシ 突然ですが、コクゾウムシってみなさんご存知でしょうか?「穀象虫」と書きます。体長2〜3ミリ、体は細くて黒褐色でおもに米を食べる虫です。 先月の法話にも書きましたが、京都・醍醐寺での修行僧時代、コクゾウムシの住み家となった究極の古古米を毎日食べていました。 このムシはお米の中に入り込んで内部を食べていきます。米の入った紙袋を開けると、おびただしい数のコクゾウムシと褐色の糞、それにクモの巣のようなものに連なった、ボロボロに砕けたお米が現れます。 そのお米を何度も水でといでムシのいなくなったのを確認して炊くのですが、出来上がったご飯はなんとも言えない臭いにおいがし、原形がなく糊のような状態です。でも、やはりいつも1匹か2匹のムシをご飯の中に見つけます。それでも毎日三度食べていると美味しくなってきますから不思議です。 修行僧はなぜこのようなものを食べるのでしょうか?それもわずかな量で。他には一采だけの食事で、動物性食物は一切摂りません。食べ物に対する有り難さ、感謝の気持ちを実感として味わう為でしょうか? 実はそれだけではありません。粗食は邪念を払い、また、ひもじさは精神を集中させる効果があります。修行僧が邪念を払い、瞑想や禅定に入る必要不可欠の手段であるのです。 妖怪漫画家の水木しげるさんも書物の中で、「満腹な状態の人間はあの世を感知する能力が衰えているようなのだ。飯を十二分に食ってると、老化やクソをするほうへばかり血が行ってしまって、霊感が鈍くなってしまうのだろう」といっています。 現代は飽食の時代です。美味しいものを食べた時の充実感、満足感は他の何物にも変え難いものがあります。人は多少の出費がかさんでも美味しいものを食べて、明日への鋭気を養おうとします。「グルメ」という言葉はすでに市民権を得たようです。 しかし一方、現代人は精神面の欠如がとやかく言われています。その原因のひとつにやはり飽食があるのでしょう。 動物性タンパク質を摂らないと体力が持たないとか、粗食ばかりしていると痩せて病気になるとか言われるかも知れませんが、私は菜食主義のプロレスラーを知っているし、かつてはスリムだった私自身、修行中に3キロ体重が増えたのも事実です。 今の食生活を変えるのは並大抵のことではありません。しかし、粗食の生活を少しの間でも続けてみるのも大切なことではないでしょうか?きっと素晴らしいひらめきが現れるでしょう。 修行生活最後の日に、米屋から買ったお米のご飯を食べさせて貰いました。いい香りがし、それにとても甘くておかずなどいらないと思いました。その味は今でも忘れません。 |

| 2月の法話 納 豆 最近はスーパーでもよく見かけ、食している人も多いようですが、10年ほど前までは関西ではあまり食べる習慣のなかった納豆が、それに含まれる酵素が脳血栓をおさえる効果があるといわれ、また健康食品ブームにのって今では一般的な食品になっています。 その納豆を私が目の当たりにしたのは京都・醍醐寺での修行僧時代、今から30年ほど前のことであります。それまでは私にとって「納豆」とは甘納豆のことで、これなら子供の頃から大好きでよく食べたものであります。臭くてネバネバしたのを見たときは、これが納豆かとつくづく眺めながら、とても食べられた代物ではないと思いました。 修行時代の食事は一汁一菜にも至らない内容で、おかず一品とご飯、それに漬物だけでありました。おかずに納豆が出たときは漬物しか食べることが出来ませんでした。それも1週間に一度は納豆が出てくるので、その度に子供の頃から食べる習慣をつけてくれなかった母を恨んだりもしました。 たびたび出てくる納豆を見つめながら、ある時一大決心をして一粒の納豆と口いっぱいのご飯をほおり込みました。次は2粒、次は3粒。いつかしら味が変わってきたなと感じました。1年間の修行が終わる頃にはさして好きではないけれど、どうにか食べられるようになっていました。 嫌いな食べ物でもそれしか食べるものがなければ食べられるようになるものです。今では毎朝美味しく食べています。 食べ物に限らず何でもそうかもしれません。いやな奴だと思ってもそいつと二人っきりなら、お互いに気心が知り合えて理解し合えるに違いありません。いやな仕事でもそれしかする仕事がなければ慣れてきっと得意になるでしょう。ブスな女性でもブ男でも見慣れたら可愛く感じられます。あっ、これは口が滑ったかな。まあそんな気持ちで何事にも接していけたらいいと思います。 ちなみに納豆の語源は寺院の僧坊である納所(なっしょ)で貴重なタンパク源として作られたことに由来します。 |

| 1月の法話 よい言葉と悪い言葉 お釈迦様は人間の代表的な悪行を10種類あげておられますが、そのうちの4つが言葉に関する行為です。すなわち嘘をつくこと、悪い冗談、悪口、陰口です。 仏教には「愛語」という用語があります。人に優しい言葉をかけるという意味ですが、菩薩の4種の大切な行為のひとつです。またどんな財物よりも愛情のこもった言葉が素晴らしい布施となると、やはりお釈迦様は説かれています。このように仏教では言葉は非情に重要視されています。 言葉はその使い方によって人を喜ばせ、愉快にさせ、将来に希望を持たせることも、また反対に人を悲しませ、苦しめ、深い失望のどん底に追いやることもできます。言葉には不思議な力があって、その使い方によっては更に人を生かすことも殺すことも、また病人を癒すことも病人を作ることもできます。 子供に対しては長所を誉めてやることが立派に成長させることにつながります。欠点ばかり見つけて叱っていては自信を喪失してしまうでしょう。深い悲しみに落ち込んでいる人にとっては思いやりのある、暖かい言葉は何よりも力強い励ましです。 日常の何気ない「ありがとう」「ご苦労さま」「すみません」といった片言隻語が人の心を大きく動かし人を幸せにします。 しかし私たちは言葉というものを案外いいかげんに使っている場合が少なくありません。自分の気づかないあいだに相手を深く傷つることがあります。喜ばそうと思って言った言葉が反対に怒らせたということもあります。これらは自分に悪気があって言った言葉ではないので後で誤解を解くこともできます。 でも嘘や悪口はいけません。剣で受けた傷は治ればその痛さは忘れますが、言葉で受けた傷はなかなか治りません。時にはその痛手は一生あるいは子孫の代まで続くこともあるというくらいです。 悪い言葉は相手を傷つけるだけでなく、自分をも不幸にします。聞く方も不愉快ですが言う方も気持ちのいいものではありません。悪口をただけばその時はスッとするでしょうがいずれは自分に帰ってきます。 お釈迦様のところへある人が来て罵詈罵倒の言葉を浴びせました。お釈迦様はじっと聞いておられましたが、その者が言い終わると、「あなたはもし品物を人に送るとき、その人が受け取らないならどうしますか?」と尋ねられました。その者は「持って帰るほかはない」と答えました。するとお釈迦様は笑顔で「今あなたは私を大変罵って悪口を言いましたが、私はこれを受け取らないので、その悪口は全部あなたの物だから持って帰りなさい」と仰せられました。 |

12月の法話 醜 い 女 ある国の王に一人の娘がいました。思いのほかの醜女で、容姿も劣り、二目とは見られない女性でありました。 さて、国王は娘も年頃になったので適当な婿をと探してみましたが、誰も名乗り出る者はいませんでした。誰でもというわけにはいかず、国王は困り果てていましたが、ようやくある国の長者の息子に白羽の矢が立ちました。 国王はいやがる青年をなんとか説得し、多くの財物を与えるなど様々な良い条件をつけてようやくのこと話をまとめました。青年の気持ちが変わらないうちにと、あれよあれよという間に二人は結ばれてしまいました。 結婚の話を聞いた青年の親戚、友人、知人など多くの人々がお祝いに駆けつけました。彼らは口々に「名にし負う国王の王女、さぞかし玉のような麗しいお方でございましょう」「ぜひ早くお目にかかりたいものだ」などと青年を困らせるのでありました。彼は「私の妻は何と言っても王女でありますから、突然来てもらっても容易にはお目見えできません。またの機会にいたしましょう」とその場はどうにか切り抜けました。 しかし、親戚の者たちは納得せず、彼の家に押しかけて来ましたが、彼は断ることが出来ず、やむを得ず「あと10日待ってください」と言ってしまいました。押しかけてきた者たちは約束を破ったら多額の財宝を貰うことを条件に帰っていきました。 彼は部屋に鍵を掛けて妻を閉じ込めました。ついに約束の日がやって来ました。いろんなご馳走や酒を準備し、また多額の財宝も用意して彼はみんなに謝りました。一同の者は「あなたの妻は貴い方であるから、奥深くしまい込んで私どもごときには見せられないのでしょう」と皮肉を交えて言いました。宴が始まり彼は人々のもてなしに努めました。彼が酔って眠った頃、一同は鍵を盗んでわれ先にと妻の部屋に押しかけて行きました。 ところが、一同の見た彼女の姿はまったく天女そのものでありました。みんな驚き、思わずその場にひれ伏しました。酔いから覚めた青年が慌てて部屋に入るや否や、彼も自分の妻が別人のごとく絶世の美女になっているのを見て腰を抜かしました。 妻は部屋に閉じ込められているあいだ、自分の容姿を嘆き、「ああ、自分の夫にかくも多くの恥をかかせ、嘘をつかせ、そのうえ多額の財宝まで出させるとは。いっそう死んでしまったほうがよいのでは・・・」と思い、首を吊ろうとしていました。 突然目の前にお釈迦さまが現れました。「おまえの、夫を想う心は人一倍である。なのに何の因果で醜い容貌の女に生まれて来たことか。かくなる上は仏さまを拝し、供養して、清浄な心で帰依しなさい」と仰せられました。彼女は一心に仏さまを礼拝したところ、見る見るうちにふくよかな顔立ちになり、その姿はまるで天女のごとくになりました。 この話はこころの持ち方を説いています。たとえばお腹が痛いときは顔をしかめ、胸が悪いときは青白い顔になります。また、いつも腹を立てていれば怖い顔になります。欲望をほしいままにしていればいやらしい顔に変わります。愚痴ばかり言っていると口が尖ってきます。嘘ばかり言っていると目が定まりません。 彼女は10日間のあいだ一心に仏さまを拝み、我を捨て、清浄なこころを持つことによって、自然に穏やかで、温かさのある、まるで天女のような女性に生まれ変わったのです。 「目は口ほどにものを言い」ということわざがありますが、顔付きやその表情はその人のこころをよく表します。 みなさん、思いやりのある、優しく清らかなこころを持ちましょう。そうすればどんな人であっても美男美女になること請け合いです。 |
| 11月の法話 男と女の物語 艶やかに歩むその姿 人を惑わす罪深し 淫の網に寄り添えば 心身ともに出で難し 行住坐臥の眺めしは 媚を巧みに漂わせ 無知の愚人は心まで 哀れ空蝉に酔い耽る 刀剣をとりて敵陣を 苦もなく破る勇者すら 女賊に遭えば忽ちに 魂までも損なわる 毒蛇の炎恐るべし されど捕らえん術はあり 女色の人を惑わすは 触るればその身の破滅なり 赤く焼かれし黒鉄を よく目の中に入るるとも 心の駒に鞭打ちて 女色に遠く離るべし 知恵ある人は心して 女と見じと努むべし 相見るならばその時は 母子の如くに思うべし これは『大智度論』というお経に出てくる釈尊の言葉です。釈尊が弟子たちに戒めの心をこめて説法されたのですが、今の時世にあってもなかなか言い得て妙であります。 私をはじめ世の男性方、お心当たりがあってか、なかってか、なるほどな、と思われるのではありませんか?昔も今も変わらぬ「男と女の物語」であります。 夜の町を歩けば女色に溢れ、本を読めばポルノ小説、テレビを見れば不倫ドラマが花盛り、いやぁまったく右を向いても左を見ても女・女・女、男・男・男であります。こんな世の中に生まれて来た私たちは幸せなのか、不幸なのか。 でも今のこのような風潮は決して良くはありません。何かが欠けているのでしょう。医学は日進月歩で不治の病といわれる癌をも征服しようとしています。しかし、心の病気はどうでしょうか?益々増えていると言わざるを得ません。とくに女病は昔からこれを治す名医はいないと言われます。 けれども世の殿方たちよ、もう一度最初の釈尊の言葉をとくとお読みくだされ。女病の名医は釈尊であります。心の病気もやはり釈尊の教えの中にその処方箋があるのです。 ご期待あれ! 10月の法話 『4 人 の 妻』 ある町に4人の妻を持つ男がいました。第1の妻は、彼の最も愛する女で、働いているときでも休んでいるときでも、決して離したくないと思っています。毎日化粧をさせ、寒いにつけ暑いにつけ彼女をいたわり、欲しいものを買い与え、行きたいと言うところには連れて行き、食べたいものは何でも食べさせ、彼女の言いなりに寵愛していました。 第2の妻は、大変苦労して、人と争ってまで得た女で、いつもそばにおいて可愛がっていますが第1の妻ほど愛してはいませんでした。 第3の妻とは時々会って慰めあったり、気ままを言い合ったりしている仲です。一緒にいると互いに飽き、離れていれば会いたくなる仲であります。 第4の妻はほとんど使用人と変わりません。彼女は毎日忙しく立ち回り、罵られながらも夫の意のままに立ち働いています。にもかかわらず夫からは何の愛情も受けず、慰めの言葉も掛けてもらった事がありません。夫の心にはこの第4の妻の存在はほとんどありませんでした。 ![]() ある時、彼は第1の妻を呼んで、「私はこれから遠い国へ行かねばならないが、私と一緒に行ってくれるか」と言いました。普段から勝手気ままな彼女は「あなたがどんなに私を愛してくださっても、そんな遠いところへ行くのはいやです」と言って聞きませんでした。 男は第1の妻の非情を恨んで、第2の妻を呼びました。「おまえは私と一緒に行ってくれるだろうな。苦労してやっと手に入れたおまえではないか。」 すると第2の妻は「あなたが一番愛しておられた女性さえ一緒に行かないのに、どうして私が行けますか。あなたは自分勝手に私を求めたのでしょう。私のほうからあなたを求めたのではありません。」と言って辞退しました。 次に彼は第3の妻に頼みましたが、彼女も「私はあなたのご恩を受けていますから、町の外れまでお送りしましょう。でもお伴はいやです。」と断りました。 男は半ばあきらめながらも第4の妻に「私と一緒に行くかい。」と尋ねますと、彼女は「私はあなたにお仕えしている身でございます。苦しくても、また死のうと生きようとあなたのおそばを離れず、どこまでもお伴いたします。と答えました。 彼はいつも愛していた3人の妻を連れて行くことが出来ず、やむを得ず日ごろ愛情のなかった第4の妻を連れて旅立ちました。 ![]() この中で、ある町とは生の世界です。遠い国は死の世界です。 彼の第1の妻とは彼自身の肉体であります。人間が自分の身体を愛する様子は第1番目の妻を愛する様子と変わりません。 第2の妻とは彼の持っている財産です。どんなに苦労して手に入れても死ぬときには持って行くことが出来ません。 第3の妻とは父母、兄弟、縁者たちのことです。生きている時はお互いに親しみ、離れがたい間柄ですが、死んだ時は墓場まで送ってはくれます。 第4の妻は彼のこころです。人間は目に見える物についついこころを奪われ、いつも後回しになります。とくに他人を思いやるこころは希薄になります。 私たちは自分の身体を大切にします。大事なことですが、いずれそれは滅びてしまいます。財産も家族もまた大切ですが、永遠に所有することは出来ません。 しかし、こころは永遠です。死後、残された家族やかかわりのあった人たちの心にいつまでも引き継がれていきます。精神と言ってもいいでしょう。人間としての存在価値はそのこころ、精神の中にあると思います。 |
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