南都 十輪院 奈良市十輪院町27 TEL.0742-26-6635

こころの便り

お盆を終えて(ご報告)

令和2年8月19日

今年もお盆期間中、酷暑の中、また新型コロナウィルス感染拡大への不安が拭えない中、多くの方がお墓参りやご先祖様のご供養、そして施餓鬼法要にお参りくださいました。特に新型コロナウィルス感染拡大の影響に鑑み、当山では諸行事等に多くの変更が生じ、檀信徒様にご不便をおかけいたしましたこと、この場をお借りしてお詫び申し上げますとともに、多くのご理解とご協力を頂けましたことに感謝申し上げます。


各ご家庭におかれましても、帰省や外食を控えられるなど、賑やかさは例年ほどではなかったかと存じます。当山でも例年500~600軒のお宅(の精霊棚)にお迎えされたご先祖様や故人様へのおもてなしの読経である「棚経(たなぎょう)」に伺っておりましたが、今年は多くの檀信徒様のご不安とリスクを考慮し、棚経は原則として中止し、代わりに当山本堂へお位牌や過去帳をお持ちいただいてのご回向とさせていただきました。併せて、来山が困難な方などには、従来通りのご家庭への棚経も約140軒伺わせていただきました。


お盆は、普段は遠い世界にいらっしゃるご先祖様や故人様に、あたかも、かつてのように一緒にいてくださっているかのように、残された家族や親族とともにお過ごしいただく期間としての世界観が築かれ、現代のように余暇の選択肢が増えるまでは、多くの日本人にとっての夏のレクリエーションでした。会えない人を身近に感じ、感謝を通じて、今日生かされている自分自身の命を大切に感じるお智慧は、コロナ禍の今日にも生かすべきお智慧であると思います。


お盆のお墓参りは、昭和の時代には、多くの方がお盆の入り(関西では8月7日)にお迎えとして、そして8月15日にお送りとしてお参りされるのみで、期間中は各ご家庭でおもてなしをされるため、お墓は閑散としていたそうです。現在では日にちに拘らず、期間を通してそれぞれのご都合に合わせてお墓参りされ、お迎えやお送りといった意味合いは希薄になってきているように見受けられますが、肝要なのはご先祖様や故人様とのコミュニケーションであって、そこから見つめ直される自分自身の命であると思います。生活様式の変化によって形式を保てないことを理由にありがたいお智慧を生かせなくなったり、却ってご負担になってしまうより、形式を変えても本質を捉えてお智慧を生かすことが本義なのかもしれません。


そのようなご先祖様や故人様とのコミュニケーションの傍ら、広く行われてきたのが、「施餓鬼(せがき)法要」です。本来、施餓鬼作法に暦との関連はありませんが、ご先祖様や故人様へのご供養の際、示しうる私たちの姿勢として、最も崇高な精神を表現する手段であるため、お盆やお彼岸に合わせて広く行われてきました。六道輪廻の世界観の中で、敢えて好ましくない世界として餓鬼道を描き、その霊を供養する施餓鬼の精神には、「本来私が受けていたかもしれない痛みや苦しみを代わりに受けてくれている人」という意味の仏教語である「代受苦者(だいじゅくしゃ)」という存在を意識し、今日生かされている自らの命の意味を正しく理解するための智慧が込められているようにも思います。「代受苦」は如来や菩薩が衆生の苦しみを代わりに受けることをいい、特に地蔵菩薩はその徳相を表すとされます。日々、災害や事故、疫病あるいは戦乱による犠牲者が報じられる中、私たちも「自分でなくてよかった」という思いに留めず、代受苦者という存在を意識してみることで、無常を理解し、日常を色鮮やかに観ることができるかもしれません。大慈悲の代受苦行の先には「(あの人でなくて)私でよかった」という境地があるようにも思えます。


施餓鬼法要では、塔婆にご先祖様や故人様のお名前を書き記しますため、ご先祖様や故人様の為だけのご供養であるかのように見え、お盆のご供養との違いが分かりづらく、お盆と施餓鬼の違いが判らなくなってしまわれている方も多くいらっしゃるようです。しかし塔婆の上部には「施餓鬼一会為」とあり、その塔婆供養がご先祖様や故人様へのご供養の名のもとに行われる、無縁の精霊への供養である点で異なります。


当山の施餓鬼法要は例年、すべての檀信徒様に塔婆供養をお願いしてまいりましたが、今年は新型コロナウィルス感染拡大防止の観点から、塔婆供養はお申込みいただける方からのみ受け付けさせていただきました。法要自体も例年8月1日の午前中に執り行ってまいりましたが、今年は8月1日から8月15日まで毎日午前10時から午後4時まで随時個別にご回向させていただく形で執り行わせていただきました。期間を終え、多くの方に塔婆供養をお申込みいただき、墓地には沢山の塔婆が建立されました。


私たち一人ひとりの命には、生物学的な血縁者のみならず、様々なご縁ある方々のご苦労と後世に込められた願いが託されています。今後時代が移り変わっていく中で、物質世界の事象だけに一喜一憂せず、健全な心を保つため、先人のお智慧を生かす手段を再考していく所存です。今後ともご指導・ご鞭撻のほど、何卒、宜しくお願い申し上げます。


十輪院 住職 橋本昌大

Page Top

Copyright © JURININ All rights reserved.

Page Top