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こころの便り

読経(どきょう)

平成22年4月20日

漢文のお経は難しくて、何が書いてあるのかさっぱり分からない。聴いていても、読んでみても分からないお経を唱えてどんな意味があるのか。このように思われている方々が多いと思います。


その通りで、読経している僧侶も逐次意味を把握しながら唱えているわけではありません。それならば尚更、なぜ漢文のままで読誦するのでしょう。漢訳経典を日本語に訳したものとして、『國譯大藏經』『国訳一切経』『昭和新修国訳大蔵経』といった書籍がすでに以前から存在しているのですが、読経としてはほとんど使われていません。


最近は、自身で漢訳経典を平たく読み下した経文を信者たちと一緒に唱える僧侶もいます。しかし、僧侶によって解釈が異なりますから、おのずと内容が一定しません。 そんなことを言っているから寺離れや仏教嫌いの人が増えるんだ、という声が聞こえてきそうです。


もちろん僧侶は経典の意味を完全とは言いませんがその趣旨は理解しているでしょうが、人々に噛み砕いて説明することがあまりなされて来なかったのでしょう。僧侶の責任と言われればその通りですが、やはりそれなりの理由があると思います。


およそ3つの理由が考えられます。1つ目は、読経の響きそのものが仏の世界を示すと言われています。とくにメロディの付いたお経は荘厳な浄土の雰囲気を表し、聴衆を宗教的な世界の中に誘(いざな)うとされます。


2つ目は、読経に先祖の霊を鎮めるための呪文のような役割を持たせています。死者の霊魂は「荒魂(あらみたま)」として、我々にたたりを及ぼす存在であると考えられています。その霊魂を読経や呪文の力によっておとなしい「和霊(にぎみたま)」に変え、無事に安らぎの仏の世界に送り届け、さらには我々を暖かく見守るホトケに変容させるという考えがあります。


3つ目は、読経の呼吸方法が精神を安定させます。大きく息を吸って、お腹から息を吐き出すような感覚でお経を唱えます。これはヨガや坐禅あるいは瞑想の呼吸方法と同じです。このような呼吸を長く続けると精神が落ち着き、爽快な気分になります。近年では、これが科学的に証明されています。セロトニン神経から分泌されるセロトニンホルモンがそのような効果を発揮すると言われています。ヨガは紀元前のインダス文明のころに発祥した、呼吸をコントロールして行う修行方法です。古代人は経験則からその効果を学びました。


このように、漢訳経典そのものを読経することに意義があるということも言えます。漢訳経典が日本に入ってきた当時の知識階級の人々にとっては、知識を得るための書物であったのが、後世に至ってはその用法が変化してきたと言えるのではないでしょうか。


十輪院 住職 橋本純信

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