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こころの便り

お盆はいずこへ

平成26年8月14日

本家に仏壇はあるけど、分家にはまだない。長男の家に仏壇があるから、次男の家では祀らなくていい。このような考え方が今でも当たり前のように言われています。仏教の立場から見て、それは間違いだと言ってきましたが、微々たる力では世間の考え方を変えるまでには至りませんでした。どうも手遅れになってきたようです。仏壇を祀らない家庭が増え、それに伴いお盆のお祀りをしない家庭も増えつつあります。将来、お盆の行事が消えていくのではと心配しています。


家族に死者が出て初めて仏壇を祀るという考え方は、明治31年に制定された明治民法の「家制度」に大きく影響を受けたもので、仏教の考え方とは異なります。「祭祀は家督者である長男が継承する」という明治民法により、長男が祭祀を継承すれば、次男以下は祭祀をしなくてもいいという拡大解釈をするようになってしまいました。


家庭を築けば、そこには手を合わせ、自分を見つめ、反省と感謝の気持ちを表せる場所が必要と仏教では説いてきました。仏壇は阿弥陀様やお釈迦様などの仏様を祀る館で、位牌は必ず必要とされるものではありませんが、先祖や縁者を祀るには最適の場所といえます。分家であれ、次男、三男であれ、また姓が違っても、血縁関係がなくても、感謝の意を表したいのなら、仏壇を設けそこで拝むことをお勧めいたします。自身の拠り所ともなります。

今では、80%の世帯に仏壇がないといわれています。死者が出ても、今まで仏壇がなかったのだから、祀り方が分からない、仏壇を求めたところで跡を引き継ぐ者がいない、置く場所がない、負担を感じる、墓参りをすればいい、といった理由で仏壇を祀ろうとしないケースが増えています。そうなると、当然、先祖を迎えるというお盆の習慣も風前の灯のように見えてきます。今までの習慣を伝えてくれる人が身近にいなくなってしまったことも大きな要因です。

現代社会は横の関係が希薄になっているといわれますが、縦の関係も希薄になって来ています。知らない先祖は他人といった感覚があります。「孤」「個」の時代は人を不安に導きます。たくさんのいのちと繋がりを持つことが大切です。その一つの方法として、お盆の習慣があると思います。いつまでも続いて行くことを願っています。

十輪院 住職 橋本純信

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