住職の日記




4月30日(火)
今日も暖かい日です。またもや羽アリが発生しました。前回と同じ客殿の玄関間です。これはすぐに何とかしないといけません。早速シロアリ駆除の会社に電話を入れました。


4月22日(月)
とても暖かい日です。今日は閉門日でゆっくりと境内を見回っていたところ、突然「キャーッ」という声が客殿の方から聞こえてきました。
何事かと走っていくと、なんと羽アリが玄関に大量に発生していました。畳の上から、壁、天井に至るまで、おびただしい数です。
昨日までは何の兆しも感じられなかったのに、この突然の出来事にびっくりしました。すぐに殺虫剤で殺しましたが、不安が募ります。



3月20日(水)
興福寺曼荼羅石の覆屋の屋根葺きが終わりました。本瓦葺きです。


3月12日(火)
大学、大学院時代の恩師、松長有慶師の高野山第五百三世法印昇進の転衣式が高野山金剛峰寺で行われました。

法印という地位は高野山で行われる様々な法要の導師を勤める最高の位です。任期は1年ですが、この間は精進潔斎を求められ、高野山を出ることは禁止されます。

この日から衣は黒から緋(赤)色に変わります。高野山では唯一、法印だけが緋の衣を纏
                うことが許されます。

式典は快晴のもと、500人あまりの参列者の前で、粛々と執り行われました。境内には所々にまだ残雪がありました。



2月22日(金)
京都国立博物館の中にある保存修理工房へ行ってきました。

「尊勝曼荼羅図」の修理状況を見せてもらいました。前回行ったときより修理はかなり進んでいました。

絵の周りに使用する布(中廻し、総縁)の選定には随分時間がかかりましたが、私の希望する布地に決めてもらいました。



2月19日(火)
所用で東京へ行くことになりました。時間に余裕があったので、都庁の展望室に上りました。

高さ243メートルの建物は新宿高層ビル群の中でも一番高く、その姿は威容を示しています。

展望室専用のエレベーターに乗るとわずか55秒で最上階に着きます。幸い天気が良く遠くまで見渡せました。真っ白な富士山をはっきりと見ることが出来ました。

案内書には「眺望を楽しみながら、東京や都政に対する理解と関心を深めていただく場です」と書かれていました。



2月5日(火)


いよいよ興福寺曼荼羅石の覆屋の工事が始まりました。

間口1.4m、奥行1.1m、高さ2.5mの小さな建物ですが、本瓦葺で連子格子の窓が付きます。

3月末頃に完成予定です。





1月28日(月)
恒例の年中行事
新春初ごま大祈とうを
午後1時から4時まで
執り行いました。

天気も良く、多くの善男善女で
賑わいました。
駐車場では甘酒や茶菓の接待が
行われました。



平成14年1月1日(火)
あけましておめでとうございます
本年も変わらずよろしくお願い申し上げます


毎年、正月には家族を連れて旅行に出かけていましたが、今年は息子が大学の卒論、娘が大学受験となったために3ケ日をゆっくり寺で過ごしました。

私の姉妹が子供や孫たちを連れて帰ってきたので総勢16人でお祝いをしました。


12月30日(日)
寺でお葬式がありました。いつあるか分からないことですが、やはり年末は慌てます。大掃除と正月の準備であわただしいなか、場所を提供しなければなりません。

やっぱりはやく大掃除をはじめてよかったな〜



12月27日(木)
例年より1日早く大掃除を始めました。一番掃除に手間が掛かるのが護摩堂です。一年の間にかなりすすけます。やはりここから始めないと落ち着きません。

スタッフたちが念入りに掃除をしてくれました。仏器を磨くのは修行時代にさかんにさせられたことです。手際よく進みます。



12月27日(木)
朝から興福寺曼荼羅石の搬入がありました。接合が完了し、接合部分の補修もきれいに仕上げられました。

搬出時は二つに分割して行われましたが、今回は一つになっての搬入ですので重さが2倍になっています。約300キロほどの重さでしょうか。

もとの場所への設置にはかなりの慎重さが必要となりました。しかし、順調に作業は進み、無事もとの位置に戻りました。

来年からは覆い堂の建設が始まります。



12月11日(火)
興福寺曼荼羅石の強化処理が終わり、接合の段階に入りました。接合の状況を見極めるために名張市の作業現場に市の職員とともに出向きました。

接合部は複雑に凹凸があるためかなり手間取りました。最終的には線刻のラインも一致し無事に終了しました。完全に接着するには1週間ほどかかります。
とても寒い日でした。



11月21日(水)
興福寺曼荼羅石の石材強化処理が行われている業者の作業場へ見学に行きました。

強化液の中に曼荼羅石を漬け、上からも流しながら浸透させる工程です。

作業は3時間ほどかかりました。再び反応、乾燥養生に2週間かかるようです。

非常に丁寧な作業が繰り返し行われています。大切に扱って頂いており、私も安心して帰ることが出来ました。


11月10日(土)
インターネットってとても怖いものだということが改めて分かりました。高校時代の友人からメールが届いたのですが、英文で分けのわからない文章でした。

変だなあと思っていたら、また別の友人から「彼のメールはウィルスメールだから絶対開けないですぐに削除してください」と緊急メールがありました。よく見ると添付ファイルが付いていました。

アドレス帳に記載されていたメールアドレスをつかって自動で送られたウィルスメールだったようです。ファイルを開けてしまった人が何人もいるようです。こわいなあ〜。


11月10日(土)
インターネットってすごく便利なのが改めて分かりました。土中から出てきた器に書かれている文句の意味が判明しました。まさか出てこないだろうと思いつつ検索をかけてみるとありましたよ。

香港在住の漢詩の好きな日本人男性のホームページに載っていました。そこには次のように書かれています。

     洛陽道 儲光羲(訳詞井伏鱒二)
        大道直如髪 ミチハマツスグ一ポンミチ
        春日佳気多 ドウモ云ワレヌコノ春ゲシキ
        五陵貴公子 ヤシキヤシキノ若トノ衆ガ
        雙雙鳴玉珂 サソフクツワノオトリンリント


やっぱりこの器は「さかづき」ですかね。

儲光羲(ちょこうぎ AD707〜759)は唐代の大詩人で、李白、王維とともに有名です。阿倍仲麻呂ともお互いに詩を送りあった仲と言われています。進士(科挙の試験に受かった人)ですが、安禄山の乱のとき、叛軍に捕まえられ、その叛軍に仕えたため、叛軍鎮定のあと、不遇のうちに死んだといわれています。


11月8日(木)
曼荼羅石の覆屋を建てるための基礎工事が5日から始まりました。地下50cmの土中からきれいな「湯呑み」のような器がひとつ完全な形で出土しました。高さ、直径ともに5cmの小さなもので、藍色と緑で絵が描かれています。
裏底には「山半造」とあります。早速インターネットで検索したところ、江戸時代の瀬戸焼陶家、川本半助の落款とわかりました。かなり有名な陶芸家のようです。本物か贋作かは私には判断はできません。

また、「大道直 如髪 春日佳 気多」と書かれています。これも私には判読できません。


11月1日(木)
興福寺曼荼羅石の搬出作業が行われました。業者の作業工場で自然乾燥させたあと、もう一度石材強化剤含浸、反応養生の工程を繰り返します。最後に同じくドイツ製の石材撥水剤を表面に含浸させます。





この曼荼羅石はいつの頃かは判りませんが、一度倒れて、二つに割れてしまいました。つなぎ合わせてありましたが、今回は補修し直しのため、二つに分けての搬出です。


10月24日(水)
花崗岩でできた興福寺曼荼羅石の表面に石材強化剤を含浸させる作業が行われました。ドイツ製の液体の強化剤(合成樹脂)で、スプレーで吹きかけて含浸させます。石の風化を食い止め、基質の強化作用があります。風化の進んでいる個所にはかなりの量の液剤が必要となります。

このような方法は石、レンガ、瓦などの保存処理にひろく用いられています。有名な所では、平城宮跡から発掘された奈良時代の東院庭園の景石の復元・保存にも使用されています。

含浸作業のあとは、きれいに包帯が巻かれ、約1週間
反応養生されます。直射日光、雨水を避けなければなりません。




10月12日(金)
石仏龕の彩色調査結果報告が早速、東京文化財研究所から届きました。内容をかいつまんでお知らせします。(10/3の日記参照)

石仏龕には赤、黄、黒、白、緑の5色の顔料が識別されました。
はベンガラの波形に近いが色味としては茶色に近く、絵画で言うところのいわゆる「代赭」と呼ばれるものに近い。黄色は波形の特徴が黄土と極めてよく類似している。はもともと波形に特徴はないため、成分には言及できないが他の石仏で観察された顔料と比べて著しくことなるものではありません。緑色は波形としては緑青のそれに類似しています。


10月9日(火)
興福寺曼荼羅石(奈良市指定文化財)の修理が始まりました。風化を食い止めるために石材に強化剤を含浸させ、表面に撥水処理をします。

また、風雨を避けるために覆堂を新設します。すべてが完成するのは来年の春頃になると思います。



10月3日(水)
本尊の石仏龕(国指定重文)に着色されている顔料の調査のため、東京文化財研究所の主任研究官が来山。

最新の技術であります非接触型の分光光度計を用いての色彩測定です。石仏には全く手を触れずに色彩の波長と反射率を測定するというものです。調査結果はいずれ届くと思います。


9月28日(金)
常滑焼きの古い大きな甕があります。25年前に境内の地下から出土したもので、高さ56cm、最大胴径60cm、底の直径はわずか10cmです。平安時代の頃の甕と推測されます。

出土したときはこなごなに割れていたのですが、元興寺文化財研究所でジクソーパズルをやってもらいました。

このたび、大谷女子大学博物館(富田林市)の秋季特別展に出展されることになり、今日搬出しました。機会がありましたら足を運んでみてください。
展示期間は10月13日(土)から12月8日(土)までです。


9月26日(水)
今年の芥川賞受賞作品の玄侑宗久著「中陰の花」を一気に読みました。著者は福島県の臨済宗の寺の僧侶です。

民間信仰の「おがみや」の老女の死の前後に、現実的な僧と感性豊かな妻が出あった不思議な出来事を描いています。

僕自信の僧としての立場や私生活の面でいくつかのところが重なり合いました。文章自体は平易で読み易かったです。僕にだってもう少し文才があればこのくらいの小説は書けそうな気がしたのですが。
気がしただけです。


9月23日(日)
お彼岸の中日です。昨日に続いて雲ひとつない秋晴れです。風も爽やかで一年を通じてこんなに素晴らしい日はあまりないでしょう。少しでも長く体感していたいと思いました。しかし墓参や来客で忙しい日でありました。3時からは「やすらぎの塔」前で法要を行ないました。多くの有縁の方々の参拝がありました。


9月22日(土)

檀家のH氏より石灯ろうの奉納がありました。H氏邸の庭にあったものです。鞍馬石の自然石でできたもので高さは約2メートルあります。境内庭園の北東隅に設置しました。威風堂々とした灯ろうです。


9月20日(木)


今日から1週間、お彼岸の期間です。随分涼しくなりました。境内のあちこちにはヒガンバナが鮮やかな赤色を見せています。不思議とかならずこの時期に咲きます。



9月11日(火)

「興福寺曼荼羅石」の2度目の調査がありました。この石も修理のために業者が持って帰ります。なにせ重いものですから、搬出方法を考えなくてはなりません。慎重かつ綿密な作業準備が必要です。


9月1日(土)

今日は二百十日、また関東大震災の記念日でもあります。昨年は台風が一度も上陸しなかったので、今年はなにか不気味な気がします。



8月24日(金)

昨日の疲れが残っていますが、今日も他寺の施餓鬼法要の助法に行きました。

市指定文化財に登録されている石造の「興福寺曼荼羅石」(鎌倉時代)の修理のために、大阪の業者が下見に来られました。この曼荼羅石は境内の庭園内にあるため、かなり風化が進んでいます。

表面に撥水処理をし、また風雨を避けるために覆い堂を新しく造る予定です。


8月23日(木)
一年で一番忙しい日です。施餓鬼法要が朝8時半から始まり、今年も無事に終わりました。毎年のことですが、やはりほっとします。台風の影響もあまりなく、朝は涼しく感じられました。


8月21日(火)
大型台風11号が接近しているために朝から大雨と強風で大荒れです。大雨の中、他寺の施餓鬼法要の助法に出かけました。

市指定文化財に登録されている軸装の「尊勝曼荼羅図」(鎌倉時代)一幅を修理のため京都の業者に預けました。修理が完了するには約半年ほどかかるそうです。

大切に管理し、崇拝してきたものですから、修理とはいえ寺から出て行くことには一抹の寂しさを感じます。


8月15日(水)
お盆の棚経がすべて終わりました。今年は特に暑かったです。手伝ってくれたスタッフに感謝。


8月8日(水)
奈良県文化財保存課の職員とともに文化庁文化財保護部の調査官が来山され、石仏龕の調査をされました。石の保存はたいへん難しく、適切な対処法がすぐには出ないようです。今後いろんな観点からの調査を経て、検討される予定です。


8月7日(火)
今日は立秋です。なにかすがすがしく、ほっとするような言葉ですが、冗談ではありません。この酷暑のなか、今日から本格的なお盆の行事で忙しくなります。


8月2日(木)
53回目の私の誕生日です。お盆の前のあわただしい時に生まれました。爾来、親には時々忘れられたし、今では感激はないのですが、これから酷暑の中忙しいお盆が始まるという、あまり嬉しくない節目です。


7月29日(日)
20日から来てくれていた庭園業者の庭木の手入れが終わりました。今年は10日間20口かかりました。松の木が多く、また樹木は年々大きくなるので以前に比べて手間ひまが掛かります。

クスノキにあったカラスの巣も取り払われました。ヒナはすでに巣立っていましたが何羽ものカラスが騒いでいました。

クスノキはほとんどの枝を払っても1年経つとこんもりと生い茂ります。




7月23日(月)
夕方とはいえ日中の暑さが残る中、6時から本堂で地蔵盆法要を行ないました。扇風機を廻しても汗が出てきます。暑い中、参拝に来てくださった方々にはお礼申し上げます。

しかし、法要が終わる頃には涼しい風が感じられるようになっていました。今年は空梅雨でした。今頃が暑さのピークでしょう。7時からは冷房のきいた客殿に席を移して、法話を聞いていただきました。

今日のタイトルは「三途の川の渡り方」です。水木しげるのこのタイトルの本を読んで、とても面白かったので要点をかいつまんで、私なりの解釈も入れて話をしました。年配の人もおられましたが、三途の川がどんなものか知らない人がほとんどでした。

三途の川がどこにあるのか、なぜ三途と言うのか、賽の河原はどちらの岸にあるのか、あるいは奪衣婆、懸衣翁、浄玻璃鏡とは、聞いたことはあるようだがよく分からないという人がほとんどでした。最近はこのような話を聞く機会がないからでしょう。みなさん、興味を持って聞いてくださいました。

三途の川に興味のある方はぜひ『三途の川の渡り方』を読んでください。光文社<カッパ・ブックス>の最新刊で860円です。



7月1日(日)

昨日、境内の鉢植えのハスが咲きました。左の白いハスです。今日は右の赤いハスも咲きました。今年の第1号です。つぼみもたくさん付いていますのでこれからはどんどん咲いていくでしょう。池のハスはまだです。


6月23日(土)
奈良大学(奈良市)で第18回「日本文化財科学会」が開催されました。ここで当山の本尊・石仏龕の大気環境と塩類劣化の問題が研究報告として発表されました。

石仏龕は堂内にありますが、ここ10数年前頃から劣化が見られるようになってきました。石の表面に白い結晶物が表れたり、石の一部が剥落するような状態になっています。

大気汚染の研究家で知られる、奈良大学の西山教授は劣化が見られるようになった頃から本堂内外の大気汚染の測定をしてくださっています。

今回の研究報告では、岩石内部の水分移動、可溶性塩類、大気汚染など様々な要因が劣化の原因と考えられると述べられています。白い結晶物はカルシウムと硫黄の酸化物だそうです

先日、奈良文化財研究所の肥塚隆保博士も当山においでになり、早急に保存処理の検討をするということでした。

住職としても最善の方法で早く処置を施してもらいたいと思っています。


6月22日(金)

当山のホームページを開設してちょうど1年になりました。多くの方々にアクセスしていただいて感謝しています。ありがとうございます。

この1年、いろんな反響がありました。まったく面識のない方から悩みの相談を受けたり、HPを見たといって拝観に来られたり、「やすらぎの塔」の問い合わせがあったり、またリンクを張っていただいたり、とさまざまなことがありました。

これからも多くの方々に見ていただける内容にしていきたいと思っています。  今後ともよろしくお願いいたします。



6月21日(木)
当山の位置する奈良町は道路が薄茶色のカラー舗装で統一されています。しかし、水道、ガス工事などであちこち掘り返されては黒いアスファルトで補修され、当山の門前もかなり見苦しくなっていました。

今日はカラー舗装に戻す工事があり、元通りになると期待していました。ところが補修し直された個所の色がこげ茶色で、周りの色とあまりにも違っているのでお世辞にもきれいになったとは言えません。何のための工事だったのでしょう。



5月28日(月)
恐れていたものがやっぱり来ました。今朝早く庭に行くと池の近くで急にバタバタッと音がしました。振り返るとあのにっくきゴイサギが、まるで僕という存在が遠く手の届かないところにいるような、そんな落ち着いた様子で悠然と飛んでいくところでした。

鯉を見つけてやって来たのです。しばらくは来なかったのに鯉を放ってちょうど2週間目です。どうして分かるのでしょうか?偵察機のように空を旋回しているのでしょうか?ひょっとするとアメリカの「EP-3」偵察機より優れた機能を持っているかも知れません。こちらはその辺の小石を投げるのが精一杯で、とても歯が立ちません。ナサケナイ。



5月19日(土)
ある女性(享年61歳)の遺骨をNPO民間デイサービスハウス「めふのお家」(宝塚市)の役員の方が「やすらぎの塔」に埋骨するために持ってこられました。

このハウスは生前契約サービスを行なうNPO法人「日本生前契約等決済機構」(東京)の指定登録事業者に関西では始めて指定された法人です。

ここでは契約者の死後の葬儀、住まいの片付け、公共料金・クレジットなどの契約解除、ペットの処遇、また生前の身元保証、遺言証書作成などといったいろんな手続き、多岐にわたる諸問題を処理してくれます。

この女性
は生前、昨年の9月に当山に来られ、「やすらぎの塔」の契約を済まされました。悲しいことに今年の3月に他界され、その遺骨を契約に従って持って来られたという次第です。「めふのお家」では第1号の契約履行者だそうです。

今後、社会生活の変化と共に高齢者が増加していく中でこのような依頼が増えていくような気がします。寂しい気もしないわけではありません。
しかし、この女性が当山で契約を終えた時、心からほっとしたような表情を見せられたのがとても印象的でした。これからは充分に供養させていただきます。



5月19日(土)
どうやらカラスがクスノキの枝に巣を作ったようです。あまり可愛いとは思えないヒナの鳴き声が騒がしいです。下から見上げても姿は見えませんが、親鳥が懸命に餌を運んでいます。

このクスノキは樹齢のほどはよく分かりませんがかなりの古木です。寄生の植物も生えています。胴回りは約3.5m、高さは約13mあります。いつも寺の様子を眺めているようです。




5月15日(火)
池が大変きれいになったのでまた鯉を入れました。以前はたくさんの鯉や金魚がいたのですが、ゴイサギなどの餌になってしまい、全滅に近い状態でした。

今回はゴイサギに食べられないくらいの大きさの鯉を10数匹買いました。予算オーバーですが仕方がありません。澄んだ池に放った鯉はとてもきれいです。

これからはゴイサギの番と池の手入れをまめにしなくてはなりません。


5月14日(月)
スタッフたちと池の大掃除をしました。昨年から藻が異常に発生し、ヘドロも積もり水が随分汚れていました。

水中ポンプで排水し、藻やヘドロは網ですくうという作業で、まる一日かかりました。からだに臭いが染み付いたようです。


5月8日(火)
やはりそうでした。今日の新聞によると、奈良県警地域課のまとめたゴールデンウィーク中の県内の人出は昨年より21万人も減ったそうです。

特に奈良公園の人出は昨年を16万4000人下回る23万1000人にとどまったそうです。各地は昨年に比して増加の所、減少した所様々だったようです。


5月6日(日)
ゴールデンウィークも今日が最後の日です。連休中、奈良公園界隈も大変な人出でした。しかし例年に比べると交通渋滞は少なかったような気がします。その理由はよく分かりませんが、私たちには動きやすかったです。

ほかのサービス業と同じで寺に従事する者には連休はかえって忙しくなります。特に私の寺は奈良公園に近いので行楽シーズンはいつも身動きが取れず悩まされていました。交通渋滞がなくなるのは良いことに違いありませんが、何か気になります。



4月26日(木)
東大寺大仏殿の東横に「アショカピラー」と呼ばれる塔が建っています。午後2時からその前で法要を行ないました。

今から13年前、昭和63年(1988)の奈良シルクロード博覧会に際し、東大寺の境内をお借りして
「千僧法要」という世界平和祈願の大きなイベントが行なわれました。

塔はそれを記念して建立されたもので、毎年4月26日に全日本仏教青年会と全国曹洞宗青年会それに私が参加している南都二六会という奈良の仏教会が集まって記念法要を続けています。今年は13周年です。

「千僧法要」とは天平勝宝4年(753)に大仏開眼の時に千人の僧が集まったという故事にちなんで私たちが企画し、全国のあらゆる宗派の青年僧に呼びかけ、じつに1700人もの僧が集まって盛大に繰り広げられました。ゾウやラクダも行列に参加し、大変な盛り上がりでした。当日のテレビニュースや翌日の各新聞紙上で大きく取り上げられました。

私は参加者一同を代表して「誓願文」を読ませていただきました。人生で一番記憶に残る出来事でした。

「アショカピラー」の下には全国から集められた様々なメッセージがタイムカプセルに入れて埋められています。50年後、つまりあと37年後に開封してお返しする予定です。それまでは死ねません。



4月8日(日)

「花まつり」お釈迦様の誕生日です。およそ2500年前、ネパールのルンビニーという花園でお生まれになりました。

時はまさに美しい花が咲き香っている季節でした。生まれたばかりの王子の体を甘露の雨がふりそそいで清めました。すると王子はすぐに立ち上がり、七歩あゆまれ、『天上天下唯我独尊』といわれました

甘露の雨は神々の祝福であり、七歩あゆんだことは六道、すなわち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という輪廻の世界を超えたことを意味します。そして『天上天下唯我独尊』とは、人間性の尊厳さをいい表したものです。


4月7日(土)
境内にはいろんな花が咲き乱れています。つばき、さくら、あしび、やまぶき、ぼけ、そのほかの草花も負けじとかれんな花を咲かせています。随分気温も上がっています。

小鳥も多く飛んで来るようになりました。庭の石仏などに毎日仏飯をお供えするのですが、それをあっという間に食べてしまいます。施餓鬼です。



3月27日(火)
関西学研都市のけいはんなプラザで米国ワールドウォッチ研究所の理事長レスター・R・ブラウン氏の講演を聴きました。

彼は地球環境問題の第1人者で、「地球白書」「人口爆発」「失われゆく食料」などの著書により、世界的なオピニオンリーダーの1人です。資源の再利用を図る『循環型社会構築』について熱弁を振るわれました。同時通訳で聞くのは初めてでした。




3月23日(金)
「氷点」「細うで繁盛記」などで知られた女優の新珠三千代さんが17日に心不全のため亡くなったと報道がありました。71歳だったそうです。

彼女は奈良市出身です。私が中学生の頃、当山に来られました。あいにく学校に行っている時で逢うことは出来ませんでした。姉が一緒に写真を撮ったことを聞かされて大変悔しい思いをした記憶があります。

今から38年くらい前のことですから、彼女は33歳くらいだったのでしょうか。



3月20日(火)
お彼岸の中日です。朝から好天に恵まれ、墓参で賑わいました。

午後から東大寺住職・新藤晋海僧正(74歳)の密葬式があり、出仕してきました。僧正は昨年の8月に前住職上司永慶僧正の遷化に伴い、住職に就任したばかりでした。

突然のことだったそうです。二代続けて現役で亡くなられたことになります。


3月17日(土)
日から1週間がお彼岸の時期です。朝、今年初めて境内でウグイスがさえずってくれました。毎年来るのですが、いつもより遅いようです。

ようやく春本番です。毎日のようにやって来るのでこれからが楽しみです。



3月14日(水)
読売新聞に和歌山・富田町で「アカウキクサ」繁殖、の記事が載っているのを見て驚きました。この草は小型の浮遊性の水性シダで冬場の池や湿地の水面に真っ赤なじゅうたんを敷き詰めたように繁殖します。

この冬、当山のハス池一面にこの草が覆い尽くしました。初めてのことです。珍しい草だなあと思っていました。

新聞の記事によりますと、近畿地方では奈良と京都では絶滅したと言われていたようです。それが環境の改善で増殖したか、水鳥などが運んできたためとみられる、と書いてありました。

実はこのあいだ、まだ寒い日に参拝の女性がそれこそじゅうたんか通路と思い誤って足を踏み入れ、池にはまってしまいました。翌日、この「
アカウキクサ」を全て処分したのですが、惜しいことをしたみたいです。


3月10日(土)


檀家の方から父の遺作の一つとして、胎蔵曼荼羅の中台八葉院の立体曼荼羅を奉納して下さいました。非常に珍しいものです。早速、玄関に飾らせていただきました。

故人は在家にありながら僧籍を持ち、趣味として仏像の彫刻をされていました。趣味とはいえなかなか優れた作品を数多く遺しておられます。



3月5日(月)
先日、私の知らない人から1通の手紙が届きました。内容は次の通りです。

『突然の御手紙を差し上げ失礼をお許し下さい。さて、私事、数年前にお参りさせていただきました折、(本堂の)机卓上の「仏前勤行集」を手にし、そのまま持ち帰ってしまいました。後で気になり、お返しをしなければと思い、次の機会にと思い月日がたってしまいました。あれから二度、奈良に行きましたが団体旅行でお参りできなく、今日にいたりました。大変申し訳ありませんでした。身勝手で、厚かましいお願いでございますが、このまま手元におかせていただけないでしょうか。「仏前勤行集」は日頃のお勤めに大切に読誦させていただいています。まずはお詫びとお願い申し上げます。十輪院院主様』

以上のような内容で、金子も入っていました。すぐに「どうぞお使いください」と返事を差し上げました。小さな経本ですし、こちらにとってはそれほどたいした事ではなかったのですが、数年間いつも気にしておられたようです。

しかし本人もこれで気持ちがすっとしたでしょうし、私も何かすがすがしいものを感じました。



3月1日(木)
今年は厳しい寒さが続いていますが、
境内で
フキノトウが咲いているのを見つけました。
春が来ているのです。




1月28日(日)
今日は「新春初ごま大祈とう」の日です。一昨日からの準備も進み、正午には準備完了です。

境内にテント3張、駐車場には大テント2張。甘酒・日本酒・ビール・ジュース・和菓子などの接待をします。甘酒が好評でそれだけが目的でこられる方もあります。

あいにく少し雨が降りましたが、約200人の参拝者で賑わいました。手伝いは総勢22名。皆さんご苦労様でした。

住職の私は3時間あまり、休みなく声を張り上げ、気合を入れてお札の1枚1枚を祈祷しました。喉の中までススにまみれました。願い事が無事叶って喜んでくださるのがとても嬉しく思います。不動明王のお力は絶大です。



1月11日(木)
「G3K」ってご存知ですか? ライフル銃ではありません。オバサマ世代の方なら知っておられる人も多いと思いますが。

そうです、元祖御三家、橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦の3人が共演して全国100ヶ所でコンサートを行なっています。その新しい企画を「G3K」と呼んでいます。

今日、県文化会館でそのコンサートがあり、オバサマ世代のワイフに連れられて見に行ってきました。聴衆はやはりほとんどがその連中でした。

でも私もその世代に生きた一人ですので数々の懐かしいヒット曲を聞いて青春時代を思い出しました。それに司会者が玉置宏ということで、35年ほど時代を逆戻りしたようでした。

昭和40年代のスーパーアイドルたちはいま50歳代になっていますが当時の雰囲気とあまり変わっていません。かつてはお互いに張り合っていた仲ですが、今は仲良くツアーを続けています。同じ世代の一人としてエールを送ります。



1月6日(土)
約500通余りの年賀状にやっと目を通すことができました。

毎年気になるのですがどうしても思い出せない方からの賀状が何通かあります。今年も、えーっとこの方はどなただったかなあ、と過去1年を振り返るのですが記憶に残っていません。誠に申し訳ないことです。

そのような方との賀状のやり取りが年毎に増えてきています。年のせいでしょうかね?困ったものです。



1月5日(金)
私の寺は正月3が日が1年で一番ひまです。それで
元日から4日まで家族4人でタイのバンコクに行きました。
正味2日間の短い旅行でしたが、充分満喫しました。


私自身は30年ほど前に一度行ったことがあります。印象としては随分きれいな町になったように思いました。高層ビルが立ち並び、高速道路も整備され、またBTSという高架電車が2年前に開通し、市内の交通渋滞が少しは緩和されたようです。14〜18世紀に栄えたアユタヤ王国の遺跡に感動しました。

タイは欧米人の旅行者が多いのには驚きました。子供たちも少しですが英語が話せるので私も楽になりました。



平成13年元旦
みなさま あけましておめでとうございます


12月30日(土)
お鏡餅は10年ほど前までは杵でついていましたが、今では家族の高齢化でほとんど外注です。

歳末の雰囲気は年々薄らいでいるようですが、仏様にお鏡餅を供え終わるとお正月が間じかに来たような気になります。

墓参も賑わっています。ご先祖様もお正月を迎える準備が出来たようです。



12月28日(木)
恒例の年末大掃除が始まりました。31日(日)まで4日間かかります。

今日は護摩堂の掃除と仏器磨き、29日は本堂、30日は御影堂、31日は庭の掃除です。それにお正月の飾り付けもしなくてはなりません。大きな山を越さないと正月が来ないようです。

護摩堂の仏器は1年で随分汚れます。堂内もすすけて掃除が大変です。しかし輝いた仏器を見ると今すぐ護摩を焚きたい気分になります。



12月23日(土)
ずっと前からのことですが、庭の池にシラサギやゴイサギが鯉や金魚を狙ってやって来ます。

毎年、稚魚が生まれるのですが、餌を与えてようやく大きくなった頃に獲られてしまいます。住職の私にとってはにっくき敵であります。昼夜関係なく飛んできます。

最近はゴイサギが毎日早朝に冬のあまり動かない鯉を食べに来ます。羽を広げると1メートル以上もある大きなヤロウです。いつか捕まえてやろうと思うのですが、その術(すべ)を知りません。いつも歯軋りをしています。



12月11日(月)

南門の東側に、
十輪院の案内石柱を新しく建てま
した。

高さ140cm、
幅55cm、
奥行15cmの
錆色御影石に
和文と英文の説明銅板を取り付けました。

外国人観光客にもよく分かると思います。 後ろの土塀にもよくマッチした感じになりました。

もちろんHPのURLも入れてあります。

羽曳野市の中野清次さんが寄贈してくださいました。



12月1日(金)
境内にカリンの木があります。今年は多くの実が成りました。バラ科の木で4〜5月頃に淡紅色の五弁の小さな花が咲きます。果実は黄色、楕円形で、12〜3センチくらいです。とても良い香りを放ちます。食べられませんが、ホワイトリカーなどで作ったカリン酒は咳止め、利尿の作用があります。いつもお経を唱えている私は愛飲しています。これから寒くなりますのでおおいに役立ちます。

この日記を読まれた方にカリンを差し上げます。詳しくは
 <NOTICE> をご覧ください。


11月26日(日)
境内の庭も今が紅葉のまっ最中です。今日は天気が良く、思わずカメラに収めました。「庭の四季」に写真を入れました。


11月14日(火)
午後2時から本堂でお十夜の法要を行ない、参加者と一緒にお経をお唱えしました。3時からは『水と信仰』のテーマで話をしました。要旨は次の通りです。

人間にとって水は空気とともに生きていく上でなくてはならないものです。体内にある水分の2割が失われると死に至ると言われています。地球上の水は液体、気体、固体の循環で浄化され、体内の水は肝臓や腎臓で浄化されます。水は「いのち」を育む大切な物質です。

その水自身にも「いのち」があります。たとえば相撲で「水入り」とは力をもう一度復活させる為に水を付けます。お正月などの「若水」とはその年の最初の水を汲むことによって新しい「いのち」を得ることを意味します。臨終のときの「末期の水」、これはこの世の「いのち」は終わったけれども、水という「いのち」を口に付けることによってもう一度生まれ変わって来なさい、という意味があります。サッカーで倒れた選手が水を掛けて貰うことによって忽ち元気を取り戻す光景を良く見ます。

私たちは「いのち」を持ったものとして水と付き合っていると言えるでしょう。「いのち」を持った水は大切にしなければなりません。特に水を大切にされた曹洞宗開祖の道元禅師の『
杓底一残水 汲流千億人』という言葉は有名です。喉を潤した杓に残った水を合掌して元の川に戻された心を表しています。

仏教では水を大切にしていますが、動物、植物、鉱物、地球上の存在するすべてのものに「いのち」があり、大切にしなければならないと説いています。『
一切衆生 悉有仏性』 『草木国土 悉皆成仏』という言葉が示すように生きとし生けるものは全て仏となる性質を持ち、草木や国土までがみな仏であるのです。これは仏教は自然をとても大切にしていることを表しています。「もの」という言葉は「者」であり、「物」でもあります。「者」=「物」です。

日本ではあまり実感が伴わないのですが、いま世界では地球環境問題の中で水問題が大きなウエイトを占めています。水資源の枯渇化、洪水の大規模化です。特に枯渇化は穀物生産にとって深刻な問題です。中国の黄河は枯れ始めています。アフリカでは砂漠がどんどん広がっています。アメリカでは地下水の低下が問題になっています。自然環境が変わってきただけでなく、大量の植物、穀物生産がもたらしたと言われます。大量生産、大量消費の結果でしょう。

地球環境問題解決に先頭を切って活動するヨーロッパ、北米の科学者、政治家、行政官は、地球環境問題の原因は西欧社会のあり方に問題があると考えています。そして東洋思想にある自然崇拝、自然と共存をはかる態度を今後の問題解決の指針と考えている人が多く見かけられると言われています。しかし、彼らは日本の自然保護運動、環境保全活動の未成熟さを実感しておおいに失望しています。

欧米追従の態度を改め、私たち日本人は仏教の根底にある自然を称え、自然と同化する精神をいま、発揮しなくてはなりません。地球環境を守る世界のリーダーとなり得る素地は充分に持っているはずですから。


11月4日(土)
夜、娘(高2)を連れて奈良国立博物館に行きました。正倉院展ではありません。バッハのコンサートがありました。国宝や重要文化財の仏像が展示されている本館のホールに150人くらいの聴衆を集めて、約2時間素晴らしい本格的なバロック音楽を聴かせてくれました。

今年はバッハ没後250年に当たります。世界各地、あるいは日本でも盛んにバッハの演奏会が開かれているようですが、このような会場で行なわれるのはあまりないと思います。チェンバロ、ヴァイオリン、オーボエなどによる協奏曲、声楽を堪能しました。

「奈良には文化財あって文化はない」とよく言われますが、これからはこのような演奏会が奈良で盛んに行なわれることを期待したいものです。主催者の日本テレマン協会に感謝します。

明治時代に建てられたヨーロッパスタイルの奈良国立博物館で同じヨーロッパで生まれたバロック音楽の演奏が行なわれるのが今までなかったことのほうが不思議なくらいです。

ちなみに当日の曲目は、「オーボエとヴァイオリンの為の協奏曲ハ短調」「チェンバロ協奏曲第4番イ長調」「ヴァイオリンソナタ第4番ハ短調」「ブランデンブルク協奏曲第5番ニ長調」などでした。

娘もとても喜んで聴いてくれました。



11月2日(木)
唐招提寺第八十四世長老、益田快範大僧正の晋山式が執り行われました。そのあと披露の宴があり私も招かれました。

250人ほどの招待者の中には、鑑真和上のゆかりの寺である中国・揚州の大明寺の住職、能 修僧正がおられました。黄色い衣に赤い袈裟を着けた姿はひときわ衆目を集めました。

中国と日本の仏教は鑑真和上の功績で深く結びついていますが、両国の国交回復にも和上の存在が大きく影響を及ぼした、と述べられました。



10月23日(月)
HPで旧十輪院宝蔵(重要文化財)の写真を見つけました。東京国立博物館所蔵で私も一度見に行ったことがあります。

この宝蔵は明治維新期の廃仏毀釈の際、当山から離れ、明治15年に東京に移されました。江戸時代の境内図によると池の西側に建っていたことがわかります。

一間四方の宝形造、本瓦葺の小さな校倉の建物です。本堂、南門と同じく鎌倉時代の形式で、床下四方の板石に十六善神線刻があり、内室には同じく十六善神の壁画が描かれています。

この宝蔵には当山開基とされる朝野魚養筆の大般若経六百巻が納められていました。それも当山から離れ、薬師寺の所有になりました。「魚養経」としてたまに市中に出ますが、一巻が1300万円ほどします。一部国宝に指定されています。惜しいことをしました。



10月3日(火)
先日、姪の結婚式があり、参列しました。式はキリスト教会で行なわれました。私は法衣で身をまとい、袈裟を着けて教会に入りました。

牧師の進行に従い賛美歌を歌い、最後に「アーメン」も言わされました。このような経験は生まれて始めてのことです。本来、キリスト教徒でないものは教会には入れないはずです。日本のキリスト教会はなんらお構いなしです。

キリスト教徒でない者がイエスの前で結婚の誓いをするのですから、別に何でも良いのでしょう。


9月27日(水)
まだ篠原選手の銀メダルにこだわっています。「人類最強の男」といわれたレスリングのアレクサンドル・カレリン(33歳 ロシア)が決勝戦で判定で敗れました。まさかの敗退で、大変なショックだったようです。

彼は反則を犯しました。微妙だったそのミスを確認するのに審判団はビデオテープを使用しました。同じオリンピック競技で判定方法にどうしてこのような差があるのでしょうか?オリンピックに対する関心、興味が半減しました。

それにしてもカレリンは今後、どのような道を進むのでしょうか?彼は昨年2月、日本でプロレスラーの前田日明と対戦し、圧倒的な強さを見せ付けました。日本の格闘技のマットに上がるかもしれません。

篠原選手も同じマットに上がることを期待しています。格闘技のファンとして。



9月23日(土)
今日はお彼岸の中日です。しかし、朝から大雨でした。いつもなら朝早くから墓参りの人たちで賑わいますが、誰も来ません。忙しい日になると思っていたのに、肩透かしです。

でも、私の心に何かほっとした気持ちを感じました。思わぬ休息が出来ました。

昼からは晴れてきました。いつもの彼岸の忙しさに戻りました。



9月22日(金)
シドニーオリンピック、柔道100キロ超級で出場した篠原信一選手(天理大学出身 27歳)が決勝戦でフランスのドイエに判定負けしました。テレビ中継を見ていた私は思わず悔し涙を流しました。一本勝ちだったのに。

2年前、私の通っているトレーニングジムに彼がやって来てさかんにトレーニングをしていました。50キロのダンベルをわしづかみにしては汗を流していました。そのころの彼はまだ世間には無名でした。

ポスト小川直也 ('89年 世界柔道選手権 95kg超級・無差別 級優勝 '92年 バルセロナオリンピック 95kg超級銀メダル) と目されていましたが、3年前に全日本選手権で3回戦敗退しました。それから厳しい練習に次ぐ練習を重ねてきたことはとても有名です。ちょうどその頃私はジムで一緒でした。とてもまねの出来ないようなトレーニング内容でした。

念願が叶い、昨年の世界選手権で100キロ超級、無差別級の二冠を達成しました。ドイエには3年前の世界選手権でも不可解な判定で敗れています。今回も納得の出来ない判定負けです。彼にとっては悔しさは限界を超えているでしょう。やっとの思いで表彰台に上ったと思います。私なら抗議の意思表示で表彰台には上らないでしょう。その点、彼はとても偉かった。

思い通りにならないのがこの世の常といつも説教しながら、腹が煮え繰り返ります。

ジムで彼に書いてもらった色紙のサイン、大切にしています。

                 



9月22日(金)
無念の気持ちがまだ収まりません。思えば思うほど残念でなりません。

ちょっと疑問があります。今回のオリンピックでもある選手がドーピング検査で、陽性反応が出て、銀メダルを剥奪されました。最先端の科学的検査により判明しました。その選手が故意でしたのかどうかは分かりません。故意でなかったとしても剥奪されます。

今回の主審の判定がミスジャッジかどうかどうして科学的に調べないのでしょうか?一瞬の人間の目の判断で白黒をつけてしまうのは危険極まりない。それもオリンピックという大舞台でなされるとは理解できません。

水泳でも精密な時計を使用するのが当たり前になっています。。大相撲でもビデオを見て、行司の差し違えを認めています。柔道と同じく、プロ野球も遅れています。ホームランかファールかは審判の目に頼ります。

競技の種類によってどうしてこのように違うのでしょうか?審判と選手あまりにも不公平な立場で対峙しているように思います。



9月14日(木)
59歳の女性が当山の永代供養墓「やすらぎの塔」に生前依頼のために来られました。彼女は独身で、すでに癌の宣告を受けておられます。人生を全うしたあと、縁者の世話にならず自分の終の住処(ついのすみか)を決めておくためです。

NPO
(*)の生前契約決済等機構というところに申し込み済みで、自分の死後のことはすべてこの機構が手筈どおり処理してくれるそうです。遺骨もその関係者の方が当山に納めに来られるということです。彼女は手続きを済ましほっとした様子で帰られました。

女性は医者から宣告を受けましたが、それが結果的に、残された時間で自分の身の回りの整理を進めるということになりました。亡骸(なきがら)のことまで考えました。

同じこの日、私の知人が交通事故で亡くなりました。とても元気な人で、よもやこのような形で命を落とすとは本人も思ってもいなかったでしょう。やり残したこと、言い残したことがたくさんあったでしょう。遺族もこれから悲しみに加えて後の整理に大変だと思います。

私たちの生命は無常で、はかないものです。いつでも人生の無常を自覚して、常に身の回りの整理に心がけることが大切だと痛感しました。


(*)NPOとは、医療、福祉、環境、文化、芸術、スポーツ、まちづくり、国際協力・交流、人権・平和など、あらゆる分野の市民活動団体等の非営利組織のことです



9月10日(日)
PCがようやく元通りになりました。8月のお盆前に調子が悪くなり約1ケ月、満足に使えませんでした。

メーカーのインフォメーションサービスに電話をしたり友人のアドバイスを受けたりしましたが、結局2度もリカバリーする破目になってしまいました。

PCは便利な機械ですが、厄介な代物でもあります。100万個以上ある最小記録単位のクラスタの1つが壊れていました。その壊れたクラスタがいろいろな悪さをしていたようです。修復にはかなりの時間と忍耐を必要としました。まさに修行でありました。




9月1日(金)

3日間門を閉じたら、私のパソコンまで閉じてしまいました。8月から調子が悪く、大変な時間をかけてリカバリーしたのですがうまく作動せず、メールも出せない状態になりました。お手上げです。

                       

8月31日(木)
今年の夏は異常に暑くて大変でした。当山では初めて、29日 30日 31日の3日間閉門しました。

別にどこにも行く当てはなく、ただゆっくりしたいというみんなの気持ちからでした。ところがあにはからんや3日間の間にお葬式が2件もあり、てんてこ舞いでした。




8月24日(木)
暑さがぶり返したようです。渇水が始まりました。今日も忙しい日でした。

朝から他寺の施餓鬼会の助法に行きました。午後は葬儀の導師をしました。疲れが取れません。夕方は何もする気がおこりません。私だけでなくスタッフもバテ気味です。

後片付けや、後回しにしていた法事などでまだしばらく忙しい日が続きます。




8月23日(水)
急に意見がまとまり、映画を見に行くことになりました。施餓鬼会の片づけが終わり、一息着いたとき、頭のどこか片隅から消え去ろうとしていた思いが突然蘇りました。トム・クルーズ主演の『Mi-2』を観たい。

女房や子供たちに言うと、すぐに服を着替え、行く準備に取り掛かりました。夜7時からの上映に十分間に合いました。4人で映画を見に行くのは久しくなかったことです。

映画館はガラガラでしたが、彼のアクションに満足しました。濃厚なベッドシーンがなくて内心ほっとしました。

疲れがどこかに行ってしまったようです。


8月23日(水)
朝から施餓鬼法要を行いました。当山では年間を通じて一番大きな行事です。準備には1ヶ月ほどかかりますが、15日のお盆が終わると追い込みに入ります。

今日は僧侶がスタッフも含めて15名。その他の手伝いも15名。約260軒の家族が立ち代わり参拝に来られました。小さな寺では大変な1日でした。

毎年同じことを行うのですが、今年は例年にない話題がありました。唐招提寺の長老猊下が助法においで下さいました。先日新たに唐招提寺第84世の長老になられた益田快範僧正(77)です。

益田僧正は今までもずーっと毎年手伝いに来て下さっていたのですが、今回は立場が変わられての助法です。といっても、みんなと同じようにお勤めをし、お斎(とき)の時でもいつもと変わらず皆と楽しく過ごしました。何一つ以前と違うところがありません。

穏やかで、物腰の柔らかいお方です。大変な重責を引き受けられました。これから、10年がかりの金堂の修復に人生を捧げられます。



8月15日(火)
今日は55回目の終戦記念日です。また、今日が本当のお盆の日です。

当山では8月1日から今日までの15日間お盆の供養が続きました。夜、スタッフやアルバイトの人たちと慰労会をしました。その帰り、奈良公園あたりで異様な光景を目にしました。

午後7時半頃でしたが、物凄い人の流れに出会いました。まるで初詣のような、いやそれ以上の混雑です。一瞬、これは一体何だろうか。今までこのような人出をこの時期に見たことがない。ビックリしました。

実は、春日大社の万灯ろう、高円山の大文字送り火、東大寺の万灯供養会、燈花会といった火の行事が重なったためです。PRも随分行き届いていたのでしょう。それにしても人も車も大変な混雑でした。

奈良の観光は年々落ち込んでいますが、この人出が観光の起死回生の起爆剤になれば良いのですが。



8月8日(火)
雨が降りません。今日の最高気温は34.2度ということですが、連日の炎暑続きで毎日が一番暑いように感じます。

今日も2時から護摩を焚きましたが、参拝者はゼロでした。暑くてとても行く気にはならないのでしょう。それでもこちらは自分の修行だと気合を入れて頑張りました。

いつもは参拝者のいろんな祈願をしますが、今日は思い切って世界平和を祈念しました。


                  

8月6日(日)
7日からお盆に入りますが、最近は日にちに関係なく土日に墓参する人が多くなりました。昨日、今日と当山の墓地にも多くの参拝者が訪れました。

墓参者のために本堂を開放して外からでもご本尊を拝めるようにしていますが、山門をくぐって真正面に見えるご本尊に手を合わせる人は2割くらいに過ぎません。ほとんどの人は墓に直行です。

菩提寺に来たら、まずご本尊様にご挨拶する気持ちを持って欲しいものです。


8月3日(木)
毎年お盆前に庭師が庭園の剪定に来てくれます。二人がかりで8日間を要します。機械化が進んでもこれだけは手作業に頼らざるを得ません。

マツは古い葉を一本一本手で摘み取らなければなりません。炎天下のもと、大変な作業です。今日、やっと終わりました。庭園が明るく、また涼しくなったように思います。

大きなクスノキがあります。長命で大変生命力が強く、公害にも強い木といわれています。胴回り約3.2m、高さ約12mです。ほとんどの葉が切り落とされました。しかし1年も経つと鳥が巣を作るくらい、たくさんの葉で覆われます。

樹齢何年かは分かりませんが、寺の歴史をずっと眺めているような気がします。



7月31日(月)
1泊2日で家族旅行に行きました。女房、息子(20)、娘(17)の4人です。子供が生まれてから毎年、夏と冬に欠かさず行きます。これで40回目ということになるのでしょうか。

私は両親と一緒に旅行をしたことがありません。父はいつも忙しく、大阪へ買い物に連れて行ってくれるのが子供の頃の一番の楽しみでした。

旅行はいつも親戚のオジが連れてくれました。オジにはとても感謝していますが、子供が生まれた時、やはり親と一緒に行くことが大切だと思いました。今でも子供たちは喜んでついて来ます。

息子は旅行のために大学の下宿先から帰って来ました。娘も塾の日程を変えました。仕事柄、長い旅行はできませんが、一晩枕を並べて一緒に寝るだけでもいろんな会話ができます。

帰る車の中で、冬にはどこへ行こうか、という話になりました。しかし、このような旅行がいつまで続くか、先は短いように思います。が、子供たちには一生の思い出になるでしょう。今までの旅行のことは私よりよく覚えています。

いつかは子供を連れて行く代わりに両親と一緒に旅行をしたいと思っています。出来るかどうか分かりませんが。



7月24日(月)
僕はゴルフをやりませんが、全英オープンを最後まで見てしまいました。

弱冠24歳のT.ウッズがグランドスラムを達成した瞬間、彼の表情は緊張感がほぐれ素晴らしい笑顔となりました。4日間の緊張は途切れませんでした。

3歳からゴルフをはじめ、数々の記録を塗り替えた彼はこれからどんなゴルファーになっていくのでしょうか。すでにJ.二クラスを越えたと言う人もいます。技術だけでなく、人間性においても尊敬に値する人のように思います。

彼が日本に来た時、親についてどう思うか質問された時、即座に、「親を愛している。親を信頼している。親を尊敬している。」と答えたそうです。

また、有名人であるが故の中傷、誹謗の声が届いてもそれを少なくしていくのが自分の務めだと言ったそうです。



7月23日(日)

連日猛暑が続いています。今日の奈良の最高気温は35.2度でした。彦根では37.0度を記録したようです。

午後6時から地蔵盆の法要を行いました。気温が下がりません。今日も汗をかきながらのお勤めです。

7時からは客殿で法話を致しました。
テーマは「
寺と民衆とのかかわり」。その要旨は次のとおりです。

本来、寺は特定の権力者の菩提を弔うために建立されたが、中世になって下克上のもと、権力者の没落と共に、寺はその経済的基盤を民衆に向けた。民衆は葬儀や先祖供養を僧侶に求めるようになった。

江戸時代になると、キリシタン弾圧のために檀家制度ができ、日本人全員が強制的に寺の檀家にさせられた。戸籍制度の性格を持ち、明治時代には家制度を法制化したことによって寺檀関係は存続を続け、現在までその習慣が続いている。

しかし、近年の核家族化、少子化、非定住化などの要因は寺とかかわりを持たない人を増加させ、寺に対する社会的役割の要求に変化が見られるようになった。将来の寺と民衆との関係は、このような人々から目をそらしては成り立たない。

                  

7月18日(火)
近畿地方も梅雨明け宣言です。暑いさなか、2時から護摩を焚きました。いやもう汗だくでした。ボトボト汗が落ち、ローソクは曲がってくるし、供花の葉は茶色くなるし、自分も燃えてしまうのではないかと思うくらいでした。
しかし、終わった後の充実感と爽快感はたまりません。またこの次も、という気になります。毎月3回護摩を焚きます。修行です。


7月15日(土)


たまご

めずらしい卵を見つけました。黄身の中にまた、白身が入ってます。二つの黄身があるのは時々見つけますが、こんなのは初めてです。


7月11日(火)
カメラマンのマナーがあまりよくないので、今年から「(境内の)ハスの写真撮影はご遠慮ください」という張り紙を出しました。

中には人目を盗んで撮る人もいますが、撮影出来ないと分かるとハスをろくに見ないでそそくさと帰ってしまう人が多いです。本当にハスの花が好きなのでしょうか?自分の目でじっくり見て、脳裏に焼き付けようとはしないで、ただレンズを通してフィルムに焼き付けることしか頭にないようです。

レンズよりも自分の目のほうがどれだけ素晴らしいか彼らは気付いてないのでしょうか?



7月10日(月)
十輪院のホームページをアップデイトしました。
これからは毎月1回は更新していく予定です。
日記はその都度書き入れるつもりです。
境内には白いハスが咲いています。「境内の四季」に写真を入れましたのでご覧下さい。



7月7日(金)

今日は七夕です。
「たなばた」の語源は種々ありますが、一説には、「棚の旗」といわれ、お盆に帰ってくる祖霊の目印となる旗を指すとされます。棚とは祖霊を祀るための台のことです。

七夕の行事は雨天を望む農耕儀礼と祖霊信仰が結びついた習俗のようです。



7月4日(火)
夕方から雷雨。十輪院付近では夕方6時半頃から約2時間停電しました。最近の生活はほとんどが電気に頼っているので、2時間は大変でした。

しかし、もっと大きな被害にあった方もおられるわけで、メディアに載らない被害は甚大だと思います。
今の文明社会は砂上の楼閣みたいなものです。ひとたび大きな自然災害に見舞われると、その社会の機能は全く働かず、大きな混乱を生み出すだけです。

私たちはいつでも非文明社会に戻れる心構えを持っていなくてはならないでしょう。



7月3日(月)

境内の池でマツモムシを見つけました。近年、見かけなかったのですが、今年は大繁殖しているようです。

マツモムシってご存知ですか? おもしろい虫です。体長が1センチ前後、紡錘形で、おなかを上にして水面の下にいます。後ろ足が極端に長く、オールのようにして潜ります。浮かび上がる時は足を動かさずゆっくりと、まるで宇宙遊泳です。からだは全体にこげ茶色、目は赤く、元気のいい虫です。肉食でオタマジャクシや小魚などを捕って食べます。
童心に返り、捕獲に夢中になりました。



7月2日(日)

境内の池に今年初めて、ハスの花が咲きました。
蓮華といいます。
赤い蓮華は紅蓮華(ぐれんげ)、白い蓮華は白蓮華(びゃくれんげ)といいます。
仏典では紅蓮華をパドマ、白蓮華はプンダリーカと記されています。
これから8月の半ばまで、順次咲いて行きます。


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