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こころの便り

葬式仏教

平成22年5月29日

日本の伝統仏教が葬式仏教といわれるようになって久しい。最近はそれにまつわる書籍も山ほど出版されています。多くは寺院や僧侶に対する批判的な内容が書かれています。 読んでいて、その通りと反省するところと、寺の実情が正しく理解されてないな、と口惜しさを感じるところもやはりあります。


現在でも我が国の葬儀の9割は仏式で行われています。最近、直葬(一般的には、「ちょくそう」、仏教読みでは、「じきそう」)という祭祀者を介さない葬送が話題になったりしていますが、やはり、多くの人は僧侶に葬儀を依頼しています。「葬式仏教」と批判しながら、仏式の葬儀をすることは、一見矛盾しているようですが、つまりは世間が寺や僧侶に対し葬儀以外のものをも求めていることになるのでしょう。


仏教が日本に伝わった頃は、国家守護が目的でした。天皇の安穏を祈願し、また権力者の人民統制にも一役担いました。日本独自の思想的展開と共に、貴族社会では来世の幸せを願う阿弥陀信仰が盛んになり、やがてそれは民衆にも広く浸透していくことになりました。


かつて寺院はいろんな役割を有していました。祭祀の場所以外に学問所であり、役所であり、病院であり、また娯楽の場でもありました。しかし、時代とともにそれらの役割が特化、専門化され、寺院に残されたのは祭祀のみとなってしまいました。全国に7万ほどある寺々のほとんどは檀家を有し、その先祖供養をすることによって維持されてきました。


近年は核家族化、高齢・少子化が進み、また社会移動により檀家制度が変化しつつあります。檀家の減少、後継者難からの無住寺の増加、更には先述の直葬や簡略葬などが寺院の維持を苦しくさせています。葬儀の簡略化はいいと思います。華美なセレモニーは今の時代には相応しくありません。


しかし、今でも葬儀は寺の大きな経済基盤ですが、その主導権もなくなってしまいました。葬儀社が葬儀を采配し、僧侶は言われるがままの祭祀者になり下がっています。


葬儀の日時は葬儀社の都合に合わせられ、それに合致しないと自社と契約関係にある他の寺や僧侶に簡単に代えられてしまいます。人の死は突然やってきます。今日の通夜、明日の葬儀は当たり前で、その度に菩提寺はやり繰りをしていますが、どうしても都合の付かない場合もあります。葬儀社の営業方針に振り回され、それでいて「葬式仏教」と揶揄されます。この「葬式仏教」という現状は葬儀社が作りだしたと言っても過言ではありません。


十輪院 住職 橋本純信

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